19/6/1 小島氏館

昨日は昼過ぎに外出して、JR高崎線本庄駅から北西へ2kmほどの場所にある長松寺へ向かいました。

概要

長松寺は武蔵七党丹党の小島氏が居館を置いていたと言われていて現在も遺構が残っています。

小島氏館散策


(左)南から見た長松寺。
(右)山門脇にある説明板。

(左)長松寺本堂。この北と西の竹林が残っています。
(右)本堂の西側に見える遺構。

(左)西側空堀を南から見た物。
(右)西側空堀と土塁。やや北に進んだ物。

境内北西に鐘楼裏手には遺構の南端に当たりますが、そこの土塁は一際大きく櫓台にも見えます。

(左)北側空堀と土塁。
(右)北側土塁を境内から見た物、西側と比べて良く残っている印象です。

小島氏館歴史

この館は丹基房の子である重光が小島に居を置いて小島氏を名乗った事により始まると見られています。
重光は平安時代末期の人物と思われますが、子が三人いて長男である光成が小島氏を継いだとされています。
1184年、宇治川の戦いで小島三郎らが負傷したと記録していたとされているようです。
館がいつまで用いられていたか分かっていません。しかし丹党は児玉党、猪俣党らとともに南北朝では南朝側について没落していき、1416年の上杉禅秀の乱で禅秀方に付き終結後に所領を没収されたとされていますので、その頃まで土豪として勢力を持っていたのかも知れません。

参考

儀一の城館旅
余湖くんのホームページ
丹党 – wikipedia
現地説明板

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