19/4/29 鷲城

この日は昼頃に外出して、JR宇都宮線小山駅から南西へ2.5kmほどの場所にある鷲神社へ向かいました。

概要

この場所は鷲城の跡で、現在も遺構が残っています。

鷲城散策

鷲城は所謂内郭部である中城と外郭である外城からなっていたようです。

中城


城域北東端、思川に面した辺りにある櫓台跡。
帰り際に撮った物です。

(左)城域東側にある鷲神社鳥居。
(右)参道脇にある説明板。

(左)中城内にある鷲神社参道。
(右)参道から左手側、中城南側を見ます。

(左)参道途中の右手側にある空堀と土塁の痕跡。中城内を仕切っていたのでしょうか。
(右)鷲神社拝殿。

中城~外城


(左)神社拝殿の南にある横矢。この先は下り道になっています。
(右)左手側に見える土塁。

(左)拝殿南側から下った先の中城西側虎口。
(右)虎口内、先程の横矢を外側から見た物。

(左)虎口外側にある土塁。
(右)土塁を西の小山総合公園側から見た物。

中城の堀、西側に当たる部分の堀底道。
この場所は水が流れていたりぬかるんでいる場所もがあり、かつては水堀だったとする見方もあるようです。

(左)土塁には切れ目が入った箇所があり、現地案内では虎口としています。
(右)土塁の切れ目から外側の小山総合公園を見ます。

(左)中城の堀、東側の空堀跡。
(右)堀底道を進むと藪になってきたので、ここは断念して外城の探索へ向かいます。

外城


(左)空堀を外城から見下ろしたもの。
(右)外城は宅地になっていますが、中城に面して土塁の跡が僅かながら残っています。

(左)城域南端、大手門であったと思われる辺り。
(右)大手門東側堀跡。

(左)大手門西側堀跡。
(右)城域東側に沿って走る道路。こちら側は早い段階で消失したのか不詳なようです。

(左)道路側に残る城域東端の土塁。
(右)土塁と堀跡。

帰り際に城域北東から撮った遠景。

鷲城歴史

この城の詳細な築城年代は分かっていないようですが、小山城(祇園城)主だった小山氏によって築かれたとされています。
1380年、小山義政は近隣の宇都宮氏と諍いを起こし、鎌倉公方足利氏満の停戦命令を受けていたにも関わらず、宇都宮領へ侵攻し宇都宮氏当主基綱を打ち取るなどします。
しかしこれにより鎌倉公方足利氏満の討伐を受ける事になります。
翌81年、討伐軍を受け、義政は祇園城の南にある当城で半年ほど防戦するも開城し降伏します。
しかし82年、義政は降伏を反故にして抗戦するも自害。小山氏嫡流は断絶し一旦滅亡する事になります。
当城が歴史上に歴史上に出てくるのは「小山義政の乱」時のみのようですが、その後も改修されたと見られているようです。

参考

余湖くんのホームページ
小山氏の乱 – wikipedia
関東の名城を歩く 北関東編
現地説明板

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