26/4/22 皿尾城

この日は少し遅めに外出して秩父鉄道持田駅から北へ700mほどの場所に向かいました。

概要

この場所は忍城に対する向城として築かれた皿尾城の跡とされ、多少の遺構が残っています。

皿尾城散策

忍城再訪

皿尾城の後、南東1km強の場所にある忍城まで歩いて再訪しました。
忍城を訪れるのは2011年、2014年以来3回目となりますが、今回はついでなのでかなり大まかに見ただけです。

皿尾城散策

この城は1561年、上杉謙信が忍城の成田氏を牽制するため、羽生城主木戸忠朝に築かせたと云われています。ただし一説には、元々忍城の支城があったものを謙信が奪取し、忠朝を配したともされます。
実際に当城から南東600mほどの位置には忍城皿尾口があり、この距離感を考えると、もともと忍城皿尾口方面を守る砦が存在し、それを上杉方が利用したと見る方が自然にも感じられます。
1590年の小田原の役に伴う忍城攻めでは、豊臣方の浅野長吉が皿尾口から攻め込んだことが知られています。ただし、この時点で皿尾城そのものが支城として用いられていたかは定かではありません。

感想など

皿尾城は忍城の北西1km強に位置する非常に小規模な城です。忍城に面する南側から見ると高低差はほとんどありませんが、城域だったという雷電神社南の畑地には僅かな落ち込みが見られ、堀跡を思わせます。ただし、後世の造成や耕作による地形改変の可能性もあり、断定はできません。
当城には上杉謙信が忍城に対する向城として築いたという伝承がありますが、現地の規模を見る限り、まとまった兵力を長期駐屯させる城というよりは、忍城周辺を押さえる小規模な砦であったように感じられます。
また、忍城から見て外側に当たる北側には土塁跡とされる高まりがあり、多少の要害性が見受けられます。この点からは、忍城皿尾口方面を防衛・警戒する砦として築かれた可能性も考えられます。一方で、北側土塁には開口部があり、これが本来の虎口なのか、上杉方が向城として利用した際の改修なのか、あるいは後世の改変なのかは判然としません。

参考

羽生市史 上巻

北本デジタルアーカイブズ

余湖くんのホームページ

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