26/5/9 大台城

この日は昼過ぎに外出して、JR成田線我孫子支線安食駅から北北西へ1.1kmほどの場所にある駒形神社へ向かいました。

概要

この駒形神社や栄中学校が建っている高台は大台城の跡と云われ、遺構は残っていないとされています。

大台城散策

大台城歴史

この城は戦国時代の1556年、上総大台城主の依田因幡守によって築かれたと云い伝えられています。因幡守は弟の兵助を配したとされている様です。
しかし1574年に城は陥落したとされていますが、その詳細については伝わっていない様です。
また上総大台城は井田氏が城主だったとされていて、城が築かれたとされる前年には因幡守友胤が坂田城主三谷氏を滅ぼして居を上総大台城から坂田城に移していた様です。
この事から依田因幡守は井田因幡守友胤かその子である因幡守胤徳を指している可能性があるのでは無いかと思われます。
ただ友胤、胤徳ともに弟はいた様ですが兵助と呼ばれる人物がいたかは確認出来ていません。
そういった事を考えると、兵助は井田氏の一門または近縁者という可能性、あるいは、実際には井田氏とは別系統の人物であったものが、同名の「大台城」や「因幡守」という要素によって、後世に上総大台城の伝承と結び付けられた可能性もあります。
また城の東200mほどの位置には小台城と呼ばれる出城が築かれたそうですが、現在は地形ごと湮滅した模様です。

感想など

駒形神社や栄中学校が建っている独立丘が城域とされています。
現在は学校などが建っている関係か遺構は残っていないとされていますが、城域南縁には土塁状地形が廻っていて帯郭らしきものが見えます。
しかし数十cmと土塁としては心許ない点や斜面が竹林として土地所有者によって管理されているらしい点から、土塁状地形や帯郭状地形は竹林管理目的の構造物かもと思いますが、後世の造成、斜面保護などに伴う地形である可能性も考えられます。
学校敷地はもちろんの事、斜面も私有地として立入禁止となっているため、探索出来るのは駒形神社周辺に限られますが、今回見落としてしまったものの「武者塚慰霊之塔」も建っているそうで、境内はそれなりに雰囲気は感じられます。

参考

千葉県印旛郡誌

日本城郭大系 第6巻

余湖くんのホームページ

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