24/1/4 登戸館

この日は昼頃に外出し、JR千葉駅から西へ500mほどの登渡神社へ初詣に向かいました。

概要

この登渡神社の裏手には登戸館と呼ばれる城館があったとされていますが、遺構などは残っておらず詳細も不明です。

登戸館散策

南側から見た登渡神社鳥居。
登渡神社は小規模で、地域の神社といった趣でした。
鳥居から右手側、北へ向かって登り坂となっています。
登渡神社説明板。
こちらには登戸平胤と記載されていますが、公式サイトでは定胤と記載されていてそちらが正しい物と思われます。
境内の参道を進むと少し登っていきます。
拝殿脇にはご神木などが祀られています。
神社裏手の参道を見ます。

登戸館歴史

登戸館について記載されているのは、調べた限り「千葉市史」のみとなっています。
歴史については不詳ですが、江戸時代の登渡神社は1644年に登戸定胤が妙見社として建立したのが始まりとされています。
この定胤は千葉定胤と呼ばれている人物で、大名としての千葉氏最後の当主である重胤の子に当たり、没落後の千葉氏当主であった様です。
定胤は千葉氏の家名再興を祈願したりしていため、妙見社建立などはその一環であったと思われますが、千葉氏宗家が武家として再興される事はなかった模様です。
もっともこの館と定胤の関係は明らかではありません。

感想

明治期の地形図では登渡神社の北にはやや南北に伸びた楕円形の微高地が確認出来、神社はその南端にあたります。千葉市史に館跡は神社裏、かつ台地縁部と記載されている事から北側参道付近にあったものと思われますが宅地化されていて、さらに高台自体京成千葉線の線路が通っている事もあって面影を見出すのは難しくなっています。

参考

千葉市史 史料編 1

千葉八百年紀

登渡神社公式サイト

登渡神社説明板

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