23/12/7(2) 大網陣屋

大網城の後、城域の東に建っている蓮照寺へ向かいました。

この場所は明治初頭に大網藩の藩庁があったとされています。

蓮照寺山門。

西側の池越しに境内を見ます。

大網陣屋歴史

蓮照寺は明治維新頃の1869年、出羽国長瀞藩主米津雅敏が仮藩庁を置いたとされています。
長瀞藩は1.1万石ながらその領地は出羽国の他に、下総上総など計5カ国に分散していた様です。
戊辰戦争に際して旧幕府方の庄内藩に与するも、新政府方の天童藩に藩庁の長瀞陣屋を占拠され炎上したと言います。
その後長瀞陣屋を再建せず、所領の飛び地である大網の蓮照寺に仮藩庁を置き、その隣接地で大網城の麓に当たる現在の旧大網小学校敷地に陣屋を築き始めたそうです。
しかし1871年、大網の地が宮谷県に移管されその代わりに与えられた常陸国龍ケ崎に藩庁を移した事で大網藩は廃藩となります。

また「千葉県文化財センター研究紀要28」によれば1590年に相模三浦氏の後裔と思われる三浦重成が、1.3万石を与えられて、所在不明ながら大網に陣屋を置いたと見ている様です。
しかし「大網白里町史」「佐倉市誌資料」によれば重成が居を置いたのは佐倉とされている様です。

感想

寺院を仮の藩庁にしたと言うことで、陣屋を思わせるものはありません。
ただ境内の西にある池などを堀に見立てたのかなどと思わなくもありません。
そして隣接地に陣屋を築き始めていたそうですが、おそらく完成前に龍ケ崎に移転したと思われ、さらにその跡地は後に学校敷地となった事で面影も残っていません。

参考

千葉県文化財センター研究紀要28

大網白里町史 – 大網白里市デジタル博物館

佐倉市誌資料 第3輯

余湖くんのホームページ

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