23/1/3 長福城

この日は午前中に外出しJR宇都宮線小山駅から南西へ1kmほどの場所にあるやはた公園へ向かいました。

概要

この公園に隣接した場所は長福城の跡とされていて、僅かに遺構が残っています。
また訪れた際は工事中でした。 

長福城散策

やはた公園にある城跡碑。
公園の道を挟んで北側に遺構が見えますが、何やら工事中の様です。
空堀跡を南側から見たもの。
南東から主郭跡と見られる辺りを見ます。
土塁跡を南側から見ます。
主郭跡の南西には土塁の痕跡らしきものが見受けられます。
土塁跡の南側を見たもの、
土塁跡はこの様な切れ目が入っています。
調査目的でしょうか。
空堀跡を北側から見たもの。
土塁跡の切れ目を東側から見たもの。

長福城歴史

この城が築かれた時期は詳しくも分からないも南北朝時代とされ、小山氏によって祇園城の出城として築かれたと見られています。城の名称は城域の北東にあった長福寺に因んだとされています。
室町時代の1380年に勃発した小山義政の乱においては祇園城と鷲城のつなぎの城として用いられたと見られています。

感想

初詣も兼ねて小山市内の長福城を訪れました。
思川に面した城域が西側が主郭と見られていますが、年々川に削られているそうで往時は現在より広かったと見られています。また宅地化によって残っている遺構は主郭周辺のみとなっているようです。
やわた公園から路地を挟んだ向かいが城域ですがストリートビューで見ると2015年では鬱蒼としているのが2020年では木々が取り払われているのが確認出来ます。
そして2023年正月に訪れた際は工事のため進入不可となっていましたが、外側から遺構を確認することは出来ました。
工事が調査と整備どちらの目的は定かでありませんが、最終的には整備目的であって欲しいと思います。

参考

小山市史

武蔵の五遁、あっちへこっちへ

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