17/8/26 祝町向洲台場跡

昨日は昼過ぎに外出して、ひたちなか海浜鉄道那珂湊駅から南へ2kmほどの場所にあるアクアワールド大洗付近へ向かいました。

概要

アクアワールド大洗の西に隣接して、祝町向洲台場跡の遺構が残っています。

祝町向洲台場跡散策


(左)城域北西の海門橋から那珂川河口を見下ろします。
(右)同じく海門橋から見た台場遠景。

(左)城域北西の道路沿いに土塁遺構らしき物が見受けられます。
(右)北側から見た台場。

(左)北東から台場土塁を見たもの。
(右)土塁上は思ったより草が茂っており、所々藪化しています。

(左)土塁上にある説明板と標柱。
(右)説明板。

(左)説明板裏手からアクアワールド大洗方面を見ます。
(右)斜面には砲台跡らしき窪みもありますが草が生い茂り、迂闊に近づくと藪に落ち込み事になります。

南東、アクアワールド側から見た台場土塁。

(左)土塁北端から那珂川河口部を見下ろします。
(右)那珂川河口河川敷から見た台場遠景。

祝町向洲台場歴史

この台場は1863年、水戸藩によって築かれたのだそうです。
1855年、海防の必要性から当時の藩主徳川斉昭によって築造が決められたようです。
築造翌年の64年、水戸藩で天狗党の乱が勃発すると支藩である常陸藩主松平頼徳は鎮圧を目的に水戸へ向かいますが、天狗党が同行していたため、対立していた書生派に入城を拒否され、さらには交戦状態となります。
幕府軍が書生派方で参戦したため頼徳らは那珂湊へ後退し、幕府軍・書生派はそれを包囲します。その際に那珂湊に向かって砲撃されたと思われます。
その後は特に用いられること無く明治維新後には廃止されていた物と思われます。

参考

現地説明板
余湖くんのホームページ

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