23/12/7(1) 大網城

この日は昼過ぎに外出してJR外房線大網駅から北東へ800m強の場所にある子安神社へ向かいました。

概要

この子安神社がある丘陵は大網城があったとされていますが、現在は子安神社が唯一の登城口といえる場所になっています。
大網城自体は明確な遺構は僅かといった印象ですが、雰囲気は感じられます。

南西から見た城域遠景。

子安神社の鳥居前には駐車場が用意されています。
個人的には利用していませんが、マイナーな城で専用駐車場というのは珍しい印象です。

駐車場から見た城域入り口。

城域入り口に当たる子安神社鳥居。

子安神社参道。

子安神社拝殿。
境内は周囲と比べて落ち込んでいて、神社造営に際して切り開かれた物と思われます。

子安神社境内から西側に向かって、最近整備されたと思しき道が伸びています。

道を進むと帯曲輪状の地形を進んでいきます。

帯曲輪状地形から浅間神社鳥居脇に出ます。

浅間神社拝殿。
城域最高所だと思われます。

浅間神社拝殿裏手の堀切状地形。

堀切状地形から細尾根上に登った所。
幅は人ひとり分が精一杯といった所で、細尾根はあくまで防壁と思われます。

大網城歴史

この城の歴史について詳細は分かっていませんが、板倉氏という城主がいたと云われている様です。
その板倉氏について土気城主酒井氏の重臣とされている様ですが、酒井氏の一族とする伝承があるようです。
いずれにしても酒井氏に関連する城と云われている様ですので土気城の支城として用いられ、小田原の役後に廃城になったものと思われます。

感想

城域は線路によって分断され、麓の居館部は宅地化していますが尾根部分は面影を留めています。
ただ尾根上に建っている浅間神社へ向かうためには私有地を通過するしか無いという情報であったため、長い間下調べするに留めていました。
しかし最近、東側の子安神社から浅間神社へ到達出来るようになったという情報を目にしたため、両神社の位置関係や子安神社への進入路などを調べてから訪れる事が出来ました。
先述した様に尾根上は面影を留めていはいますが、浅間神社が参道を除くと藪化してしまっているため、探索出来たのは子安神社と浅間神社の間のみと非常に限られた区間のみとなっています。
以前と違って道が整備されていますので、将来的には整備される範囲が拡張される事に期待したと思います。

参考

大網白里町史 – 大網白里市デジタル博物館

余湖くんのホームページ

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