4/15(後)小弓城

有吉公園から大百池公園に引き返してさらに西へ数百メートル進み、おゆみ野から生実(おゆみ)町に入ります。

小弓(南生実)城跡

大百池公園から西の高台に登ると小弓城の城域となります。
南は八剣神社、北は千葉市埋蔵文化財センターと、かなり広い城域です。

小弓城は南生実城とも呼ばれ、千葉氏が亥鼻城と同時期に築いた支城と見られているようです。

1518年、上総武田氏によって擁立された足利義明(古河公方足利高基の弟)は、原氏より奪った小弓城を本拠として小弓公方と呼ばれます。

古河公方に対抗しようと房総を中心に勢力を拡大した義明は、古河公方や後北条氏と対立するに至り、対立する両者が結ぶ前に討とうと考え、北条氏綱・足利晴氏(高基の息子)の連合軍と激突します。これが1538年の第一次国府台合戦で義明は敗死、房総勢は退却します。

その際に小弓城は後北条氏に接収されますが、この地域の拠点は北の生実城に移ったと考えられています。
小弓城は生実城の南方(上総。安房方面)の備えとして使用されたのかも知れません。

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(左)大百池公園から小弓城跡へ向かいます。

(中)城域の一角にある八剣神社の社殿。

(右)八剣神社西の墓地にある城跡碑と説明板。

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(左)千葉市埋蔵文化財センター付近にある土塁。

(右)城域内にある千葉市埋蔵文化財センター。

敷地内には展示物が幾つかありました。

生実(北小弓)城跡

寄り道しながらも小弓城跡から1kmほど北上し、最後の目的地生実(おゆみ)城跡へ。
現在の生実神社近辺です。

生実城跡は別名北小弓城跡とも呼ばれていますが、「おゆみ」と同じ呼び名の城であることから小弓城が古い城で、生実城は小弓公方が滅亡しこの辺りが後北条氏の影響下に入ってから築かれたと考えられていたようですが、実際には同時期に築かれていたようです。

しかしこの辺りの拠点としての機能は小弓城から生実城へ移されたようですが、後北条氏の滅亡と共に廃城となります。しかし江戸時代に生実城跡の一角が生実藩の陣屋として使用されています。(森川陣屋)
生実藩は1627年に森川氏が一万石で立てた藩で、廃藩置県まで森川氏が領有しています。

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(左)生実城の遺構が残る生実神社。生実城に関する説明も多いです。

(中)生実神社西側の空堀跡。

(右)堀底から神社社殿を見上げます。

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(左)生実神社北西にある本城公園。生実城本丸跡ですが、現在は普通の公園です。

説明板はありますが。

(中)城域西の生実池から本丸方向を見ます。

(右)城域東の県道沿いにある大手門跡の碑。

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