請西城の後は同じ高台上、南西へ500m強離れた請西陣屋跡へ向かいました。
概要
この陣屋は別名真武根陣屋とも呼ばれ、幕末に請西藩の藩庁として築かれたそうですが、現在確認可能な範囲で明確な遺構は見受けられません。
請西陣屋散策




一面の草地で歩いて見渡して見ましたが、遺構らしきものは見受けられません。


請西陣屋歴史
この陣屋は1850年、貝渕藩主林忠旭が築き貝渕陣屋から藩庁を移したそうです。これにより貝渕藩、請西藩と呼び分けられますが、実質的には同じ藩と言えます。
1853年、浦賀に黒船が来航すると幕府は沿岸警備を強化しますが、請西藩も旧貝渕陣屋周辺の海岸防護を強化したと言います。
1868年、戊辰戦争が勃発すると最後の藩主忠崇は藩士70余名とともに旧幕府軍に参戦するため、陣屋に火を放って脱藩したそうです。忠崇は箱根や奥羽地方を転戦するも降伏し、請西藩は改易され陣屋と廃止されました。
余談ですが請西藩は戊辰戦争で改易された唯一の藩であり、忠崇は昭和まで生き「最後の大名」と呼ばれています。
感想
陣屋としては大規模であったとされていますが、探索可能な範囲では明確な遺構は見受けられません。「千葉県文化財センター研究紀要28」の掲載されている区画図では半分以上が森の中となっている模様です。その区画も複雑なものとなっていますが、道らしきものが全く見受けられない森の上、残っている遺構も断片的とされている事から進入は断念しました。
参考
現地説明板
千葉県文化財センター研究紀要28
房総諸藩録
三百藩藩主人名事典 第2巻