26/7/29 真福寺城

東京都の城郭

この日は遅めに外出して、多摩都市モノレール上北台駅から北西へ2.1km強の場所にある真福寺へ向かいました。

概要

この真福寺周辺は室町時代後期に太田道灌が陣を置いた陣城があったと見られていますが、それを示すものは残されていない様です。

真福寺城散策

真福寺城歴史

真福寺周辺は室町時代後期に起こった長尾景春の乱に際して、扇谷上杉氏家宰の太田道灌が村山方面に布陣した際の陣所で、高月城の大石氏に備えて築かれたとも云われています。
伝承では、道灌はここを陣所として小机城攻略に向かい、小机城を落とした後には大石氏の拠る高月城を攻めたとも云われています。
当城が一時的な陣城であったとすれば、この一連の戦いが終わった後には役目を終えたものと思われます。

感想など

真福寺は奈良時代の710年に創建されたともされている古刹で、現在も歴史を感じる佇まいとなっています。
太田道灌による陣城はこの寺院の周辺に築かれたと見られていますが、陣城だと兵力を駐屯させる事が主目的であろう事から、比較的簡易な造りだったとも考えられる事や、現在は寺院や墓地、小学校などとして利用・造成されている事もあり明確な遺構は見受けられません。

陣城があったとされる場所は舌状台地先端部となっていて、境内から台地先端に当たる南側に向かって墓地と第三小学校が建っていてどちらも比較的規模が大きめの平場であったと思われます。
しかし明治初期の迅速地図では境内から台地先端までが、ひと続きの平坦な地形である様に見えます。もっとも実際には地図に見えない程度の段差や傾斜があったのかも知れませんが、現在の様なはっきりと区切られた地形では無く、複数の郭があったのかは読み取る事は難しそうです。
真福寺周辺に陣城が置かれていたとすれば、境内付近を台地の基部側として、墓地や第三小学校方面まで続く比較的広い平場を兵の駐屯などに利用した可能性が考えられます。

また迅速地図では北西、現在の観音寺森緑地の方へ向かって鞍部の様な地形で接続されている様に見えます。恒久的な城郭であれば、このような台地基部の狭窄部に堀切などを設ける例もありますが、恒久的な城郭とは異なる一時的な陣城であったとすれば、そもそも堀切などが設けられていたかは分かりません。また当地へのアクセスルートも確認できなかったため、この地形について観察することはできませんでした。

参考資料

  • 日本城郭全集 第4
  • 多摩の古城址

コメント

タイトルとURLをコピーしました