08/10/12 長胤寺館跡

長作城の後に訪れたのは同じ長作町にある長胤寺。

ここはかつて武石長胤の館があったそうです。

武石長胤は千葉常胤の三男、武石胤盛から始まる武石氏の分家筋の人物で、武石氏二代目胤重の次男である朝胤の息子で、武石城の武石氏の御家人であったと言われています。

長胤は長作を領地とし、この地に館を構えていたそうですが、弘長年間(1261~1263)に自らの館に寺を創建します。

それが現在の長胤寺だそうです。

Choinzi006_2長胤寺の門

Choinzi010 境内にある土塁跡。

長胤寺の北東にある天津神社。妙見神社として創建されたものだそうです。

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