この日は昼過ぎに外出して、JR宇都宮線野木駅から北に2kmほどの場所にある法音寺裏手に向かいました。
概要
法音寺に隣接した場所には、城があったとされ現在では法音寺城と呼ばれているようです。
法音寺城散策
(左)南西から城域へ向かう道。
(右)道の右側に残る、城域南側空堀跡。
城域内東側にある原っぱはゲートボール場とされていますが、見た所現在は使われていなさそうです。
そしてそのゲートボール場と法音寺の境界には空堀跡と土塁跡が確認出来ます。
(左)東側土塁。
(右)東側空堀跡。
(左)城域北東側の土塁と空堀跡。
(右)北東から城域を見たもの。
城域北東側から北側にかけての堀底道。
(左)城域北端部と思われる場所の城塁。
(右)城域北端部付近から北西側堀底を見ます。
(左)北西、思川対岸から見た城域遠景。
(右)友沼橋から見た思川。橋の反対側からは釣り人も見えました。
城域に隣接している法音寺の、日光街道沿いにある山門。
法音寺城歴史
この城は小山氏に仕えた菅谷氏が居城としたとしている以外には特に伝承は残っていないようです。
ただ城に隣接して船着き場とされる場所がある事から、思川が城の北まで流れていて水運を管理する役割があったのかも知れません。
また同じ友沼にある逆川城(友沼城)が当城と同じく菅谷氏が居城とし、1590年の小田原の役で落城したとされている事から同様に落城したと思われます。
感想
遺構はそれなりに残っている印象です。
東側のゲートボール場付近は比較的見やすいですが、北側から西側にかけては畑地や住宅がある事から、城域内から確認するのは難しいかも知れません。
参考
余湖くんのホームページ
城郭図鑑
逆川城 – 栃木の城+α
法音寺城 – 栃木の城+α