5/21 山梨遠征(1) 岩殿城

山梨一泊二日で予定していたのは四ヶ所。
その最初が大月の岩殿山城です。

高尾から中央本線で40分ほどで到着し下車し、駅から15分ほど歩くと岩殿山入り口に到着します。
まず10分ほどで丸山公園に辿り着いて少し休憩。
ここには天守風の建物や展望台があります。

公園から登り始めると「クマ、イノシシ注意」の立て札が・・・
「熊が出るって聞いてない・・・」という感想でしたが。情報収集不足でしょうか?

公園から再び10分ほど登って頂上付近の城跡碑に到着しましたが、とりあえず頂上にある本丸、烽火台とその後方の堀跡を見ようと思いましたが、堀跡付近は道が険しくて途中で断念しました。

岩殿山にはもともと円通寺というお寺や修験道の場があったそうですが、1530年代(1532年?)に小山田氏が城郭化したのだそうです。
もっとも岩山なのでそれほど手を入れる事は出来なかったのだろうと思いますが、地形が険しい要害といえます。

1582年。織田・徳川連合軍が甲斐に侵攻し、武田勝頼は岩殿城目指して落ち延びます。
しかし城主小山田信茂が寝返り勝頼一行を拒んだことにより、勝頼は自害に追い込まれます。
結局小山田氏は織田信長に許されず処断されてしまい。城は徳川氏の物となります。
江戸幕府が開かれた後も緊急時に避難の場として要塞としての機能は保たれました。

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(左)高月橋から見た岩殿山遠景。

(中)麓の円山公園にある櫓風建築物。資料館だそうです。

(右)円山公園から山頂方面を見ます。

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(左)円山公園から登りはじめた直後に現れる立て札。正直かなり怖いです。

(中)しばらくこのような山道が続きます。

(右)城に近づくと山道は急になります。

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(左)揚城戸跡。両脇の岩を利用した城門だったようです。

(中)揚城戸跡付近から上を見上げます。

(右)揚城戸跡裏手にある番所跡。城戸を守る場所だったようです。

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(左)道が分岐しています。右手は展望台ですが、一旦左側の馬場を抜けます。

(中)馬場から山頂を望みます。

(右)山頂へ向かう途中にある蔵屋敷跡。倉庫だったようです。

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(左)山頂へ向かう道。

(中)本丸跡の山頂には電波中継所が立っています。

(右)烽火台跡の標柱。

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(左)本丸東側にある空堀跡。実際は堀切のような物だったようです。

(中)山頂から下って展望台に到着です。

(右)展望台から南側を見ます。

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