この日は初めて茨城まで足を伸ばしました。
昼過ぎ頃に起きたあと、少し身支度して散策のために外へ。
秋葉原からつくばエクスプレスに乗り、守谷駅下車。
(左)守谷小学校付近にある城跡碑。後方は土塁です。
(中)城跡碑脇の土塁。切れ目がありますが、虎口の類かどうか不明です。
(右)小学校から北へ進んだ城址公園付近。正面に見えるのが城址公園入り口で右手の竹薮は土塁と堀跡らしきものがありました。入るのは難しそうですが・・・ちなみにこの写真は帰り際に撮ったものです。
駅付近で少し道に迷い、付近の道路工事現場の方に道を大雑把に場所を聞きました。そのとき聞いた話ではどうやら平将門が築いたという伝承があるようです。
とりあえず守谷小学校付近の遺構を見てから城址公園へ歩きました。
駅からだと20分というところでしょうか。
この城は先ほども触れたように平将門が築いたと言われています。
しかし将門が築いたとすれば現在より規模はかなり小さいと思われますが。
鎌倉時代に千葉常胤の子、師胤が相馬氏を継いでから築いたと言われているようですが、実際には相馬氏の誰かが築いたとしか分からないようです。
この城は下総相馬氏の本拠地として長い間用いられますが、戦国時代に入ると次第に後北条氏に押されて影響下に入り北条方の関東北部に対する拠点の一つとなります。
小田原の役後相馬氏は改易され、江戸時代に入ると土岐氏が入って守谷藩が置かれますが、土岐氏は二代で加増転封。旧相馬領は天領となった事で廃城になりました。
(左)城址公園入り口付近より。右手側が主郭方向。正面はかつて湿地だったそうです。
(中)主郭西側の空堀。
(右)空堀を隔てて主郭南西に隣接した郭。規模は小さいですが、主郭側に橋を掛けていたと思われる跡があり、この郭には虎口跡(写真右側奥)があることから、主郭を守る郭だったようです。
(左)主郭虎口。
(中)主郭内南側から見たもの。
(右)主郭を囲む土塁。
(左)主郭北西側。坂道を下った場所には船着場だったと言われる場所があります。
(中)主郭北東側。木橋かと思ったら土橋でした。土橋の向かいは小さな郭があります。
(右)土橋の先、主郭の北東にある堀跡。
(左)主郭北東には小規模な郭があります。土塁などは無いようです。
(中)郭より東側を見たもの。荒涼とした雰囲気です。
(右)主郭説明板より。主郭右手にあるのが北東の郭で左手にあるのが南西の郭です。
しかし城址公園付近だけでも一時間半掛けてしまいました。茨城まで足を伸ばした甲斐あったと言うものです。