この日は遅めの時間に外出してJR横須賀線武蔵小杉駅から東北東へ500mほどの場所にある日枝神社へ向かいました。
概要
この場所は室町時代に起こった長尾景春の乱に於いて、太田道灌が争奪したとされる陣城があったとされていますが、現在遺構などは残っていません。
丸子城散策




丸子城歴史
この城は丸子陣とも呼ばれ、1478年に長尾景春の乱に於いて景春方である豊島泰経が陣を置いた場所であるとされています1。
従来の説では太田道灌によって拠点を失った泰経は丸子に陣を張るも、道灌の軍勢が接近してきた事で景春方の拠点である小机城に落ち延びたとされているそうです2。
しかし現在では泰経が丸子に布陣したとする説には疑問が呈されている模様です。
一方『太田道灌状』には道灌が丸子に着陣し、敵に接近したところ、その軍勢が小机の要害へ逃げ込んだため、さらに追撃したと記されています3。
感想など
「日本城郭大系」によれば上丸子山王町にある日枝神社から西へ300mほどの場所に建っている上丸子小学校に掛けてが城域であったと言い伝えられているそうです。
神社を目印にした事と、それ以外は宅地化著しい事を考えて神社周辺を見ただけですが、元々遺構の類は無いという話だった事もあり、そういったものは見受けられませんでした。
また境内の東と北の境に僅かな段差が見受けられますが、境内整備や周辺の宅地化の影響が考えられるものの、詳細については定かでありません。
参考
- 日本城郭大系 第6巻
- 川崎市史 資料編 1 (考古・文献・美術工芸)

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