26/10/12 大神陣屋

神奈川県の城郭

この日は昼過ぎに外出して、JR相模線寒川駅から北西に3kmほどの場所に般若院へ向かいました。

概要

この般若院から東の真芳寺に掛けて陣屋があったとされている様ですが、遺構などはほぼ残っておらず詳細は不明です。

大神陣屋散策

大神陣屋歴史

戦国時代

大神周辺はかつて牛ヶ淵と呼ばれ、室町時代から戦国時代に掛けて幾度か合戦の舞台となった様です。
特に1569年の武田信玄による小田原攻めでは、武田軍がこの付近に陣を取ったと伝わります。
そしてその近くにある真芳寺には後北条氏の物と見られる城館跡が残っていたそうです。
しかしその城館について用いられた時期や城主については定かでありません。

安土桃山時代以降

1590年、小田原の役で後北条氏が没落した後、徳川家康が関東へ移封されます。
翌91年、大神村の石高は半分余りが旗本に分与され、残りが家康の直轄地となりました。
そして真芳寺の南西にある般若院付近(説明板によれば石碑の斜め左前方)に代官陣屋を置いたそうです。
1602年、現地説明板によれば、家康は大神に残っていた直轄地を旗本の筧政次、榊原忠真、服部康信らに与えたとされています。これにより陣屋は役目を終えた物と思われますが、実際の廃止時期については定かでありません。
また、陣屋跡地と蔵は忠真に与えられ、蔵屋敷として用いられたと云います

感想など

現在の般若院から真芳寺にかけてが陣屋跡とされている様です。
現地説明板では般若院側の家康による陣屋を指す様ですが、平塚市教育委員会刊行の「中世平塚の城と館」では真芳寺を中心として、般若院辺りまで含めた三郭構成を想定しています。般若院の辺りは同書の想定図では城域の南西端に位置していますが、般若院前の説明板では真芳寺の城館との関係について記載されていない為、その関係は不明瞭に感じられます。
また同書では真芳寺周辺に遺構が残っている様に記載されていますが、現在は明確な遺構は見られず、土塁の痕跡らしき盛り土や堀跡の名残らしき溝が見受けられる程度です。
ただ現在の般若院付近に置かれた陣屋が、実際真芳寺周辺に建っていた城館の一角であったのかは定かでありません。

参考資料

  • 現地説明板(陣屋跡)
  • 現地説明板(古戦場跡)
  • 中世平塚の城と館

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