この日は昼頃に外出し、JR常磐線勝田駅から南西へ1.5kmの場所にある武田氏館へ向かいました。
概要
この場所は武田氏発祥の地とされ、遺構は残っていませんが当時武士が住んでいたと思われる館が復元されています。
武田氏館散策
門の前から見た館敷地。
門の中にある説明板。
正面に見える主屋。中では展示物を見物出来ます。
また右手側には受付などがある納屋となっています。
左手側に見える厩。
武田氏館~跡地
展示物の説明で、実際の館跡は南東へ300m強の場所にあった様です。
そこで遺構などは残っていないと思われますが、一応見に行って見ることにしました。
立地としては南に突き出した舌状の微高地先端付近だった模様です。
館の南に隣接した湫尾(ぬまお)神社。
鳥居前には「甲斐武田氏発祥の地」の碑も建てられています。
神社前には武田氏の成り立ちなどについて解説版があります。
館があったと思われる辺りを西側から見たもの。
館を北から見たもの。
北側には堀切も確認されている様ですが、現在それらしき物は見受けられません。
武田氏館歴史
この館は平安時代後期に源義光が三男である義清に武田郷の地に館を築かせて配した事が始まりとされています。
義清は武田氏を名乗り武田冠者を称しますが、義光が武田氏の祖と言われています。
義光没後の1130年、義清とその子清光は吉田清幹、盛幹と境界争いを起こしてそれが元で訴えられて、翌31年に甲斐国へ配流されたと言います。義清は勢力拡大を急いでいたともされ、義光没後は周辺の在地勢力からの風当たりが強くなっていたともされています。
そうして義清、義光親子は甲斐国市河荘へ送られた後も勢力を広げていき、後の甲斐武田氏となりますが、武田郷の館は廃されたものと思われます。
感想
武田氏の居館と言えば躑躅ヶ崎館が有名ですが、この館はそれより以前、武田氏の発祥に関わるものとされています。
平安時代の館跡ということもあって遺構は全く残っていませんが、当時の武士が用いていたであろう館が復元されていて、資料や展示物もありますので興味があれば訪れるのも良いかと思います。
参考
現地説明板
パンフレット
勝田市の歴史
源義清 (武田冠者) – Wikipedia