23/8/10(2) 網戸城

椎名内城を探索した後、次の電車まで時間があったため長禅寺から北へ2km、旭駅から東へ1.2kmほどの場所にある東漸寺へ向かいました。

概要

この周辺は後北条氏によって築かれ、その後木曾氏が居を置いた網戸(阿知戸)城があったとされ、遺構らしきものも見受けられます。

網戸城散策

南から見た東漸寺山門。

東漸寺本堂。

東漸寺境内に建てられている木曽義昌の墓。

墓の脇に設置されている説明板。

東漸寺北側の道路脇を撮ったもの。
内側には空堀跡とされるものが見受けられますが、藪になっていて撮影は難しい状態でした。

同じく境内西側。

網戸城歴史

この城は戦国時代末期に大橋康忠によって築かれたと云われています。康忠は「日本城郭全集」などでは後北条氏家臣と記載されていますが、「千葉県誌」などでは千葉氏家臣と記載されていてはっきりしません。
もっとも直臣、陪臣の違いはありますが大まかに言えば後北条氏に仕えていた人物と言えるかも知れません。
そして小田原の役後に徳川家康が関東入封すると、信濃国木曽谷の領主だった木曾義昌が1万石を与えられ入城します。木曾氏は藤原氏を本姓としている様ですが、木曾義仲の末裔とも称している家柄です。
義昌は阿知戸に移った後の1595年に没します。
しかし1600年、義昌の後を継いだ嫡子義利は叔父に当たる上松義豊を殺害したとして改易された事で廃城となり、大名としての木曾氏も滅亡します。

感想

東漸寺の北から西に掛けて空堀跡と見られている溝が見受けられます。また堀の内側に土塁跡が残されている様ですが、藪が酷くて確認困難でした。
ただ城の中心は東漸寺から少し西側にあったと見られていますが、駅からほど近い事もあって宅地化した様です。残っている遺構は多くありませんが、東漸寺境内となったことで完全な湮滅を免れたのは幸いと言えるかも知れません。

参考

日本城郭全集 3

房総の古城址めぐり 下巻

千葉県誌 巻下

木曾義利 – wikipedia

余湖くんのホームページ

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