この日は午前のうちに外出して、東武伊勢崎線足利市駅から北へ2km弱にある両崖山登山口へ向かいました。
概要
この両崖山は平安時代後期に藤姓足利氏によって築かれた足利城の遺構が残っています。
足利城散策
両崖山登山口~城域
足利城城域
城域西側
主郭の西側には郭があり、その南北には堀切が設けられていますが、時間の関係で堀切までは訪れていません。
足利城歴史
この城は平安時代後期に藤姓足利氏の足利成行によって築かれたと云われています。
藤姓足利氏がいわゆる源平合戦で平家方に付いたため没落した後の鎌倉時代は定かでありませんが、位置的には足利を領した源姓足利氏の支配下にあった物と思われます。
室町時代に入ると、勧農城主足利長尾氏の支配下となります。
1455年、鎌倉公方足利成氏の軍が足利城へ向かい、足利長尾氏と衝突したとされています。
その後足利長尾氏は景長の頃に本拠を足利城に移した様です。
1564年、上杉謙信は後北条方に鞍替えした佐野昌綱の居城、唐沢山城を攻める途上で足利にも攻めてきたと言います。
結果城主当長は上杉方に与したと言います。
本能寺の変が起こった1582年、城主顕長は滝川一益を討ち払った後北条方が制した厩橋城に呼び出され、後北条方に下る事になります。
1584年、佐野昌綱の子で反北条に転じていた宗綱が攻めてきたと言います。その後大晦日から85年元日に掛けて起こった須花坂の戦いの戦いで宗綱を討ったとされています。
1590年頃に合戦があったとされていますが、詳細は分かっていない様です。
また同年の小田原の役に際して後北条方として戦った事から戦後廃城になったそうです。
感想
足利という土地もあってか、関東では比較的知名度が高いと思われる山城です。
登山口から思いの外長く歩くことになります。また途中に石垣遺構があるとの事でしたが見落としてしまった様です。
足利長尾氏が本拠を移したとされていますが、主郭部はそれほど広いと言えずまた麓までも遠い事から、本拠として用いる事が可能かという点が気になりました。
参考
現地説明板
関東の名城を歩く 北関東編
足利城 – Wikipedia
余湖くんのホームページ