22/6/10 上総大野城

この日は午前中に外出して、いすみ鉄道上総中川駅から南東へ1kmほどの場所にある八幡神社へ向かいました。

概要

八幡神社のある高台は上総狩野氏の居城だったとされている大野城の跡だそうで、遺構が残っています。

大野城測量図(図説房総の城郭より)。
現地説明板に同じものが使われています。

上総大野城散策

城域北東、夷隅川にかかる中川橋から見た遠景。
城域東部の外城から主郭方面を見ます。
南側から城域へ向かう道。
城域南側の切通。
切通の北側正面、城域東寄りにある堀ノ田と呼ばれる堀跡。右手側が外城などになっています。
堀ノ田から西側の内城(三郭)、主郭方面を見ます。
堀ノ田に隣接して西側にある内城は藪で閉ざされています。
八幡神社鳥居。参道は帯曲輪状となっています。
主郭へ向かう道と拝殿方面への階段。
八幡神社拝殿。位置的には主郭北東端に鎮座し、鬼門除けとされています。
主郭虎口と思われる方面。
主郭虎口脇の小郭。
主郭内。
主郭から南側にある二郭方面を見ます。
主郭と二郭は合わせて要害と呼ばれ、現在は堀も埋まっている模様です。
南側から見た城域。
城域南西端にある五郭と主郭部との間にある堀切跡と思われる道。左手側が五郭です。
五郭と苗代台公民館に隣接して設置されている説明板。
説明板裏にある狩野正信生誕地の碑。
日本絵画狩野派の開祖、狩野正信は城主とされている上総狩野氏の出身と云われている様です。

上総大野城歴史

この城の詳細な歴史は分かっていません。
しかし15世紀に伊北荘を支配していた上総狩野氏の居城と云われている様です。
城は遺構から戦国時代まで用いられていたと見られていて、戦国時代末期には里見方である正木氏の勢力下にあり、上総土岐氏の万喜城に対して備える役割があったと見られているようです。

感想

狩野氏の居城であったと云われている城ですが、現在見られる遺構は正木氏による物と思われます。
八幡神社社殿の参道にあたる部分は比較的手入れされていますが、主郭と二郭にあたる要害部分は原野と畑地となっていて探索は難しい印象でした。

参考

現地説明板

図説房総の城郭

余湖くんのホームページ

び・び・びのびいすけ

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