22/3/3 富田城

この日は昼過ぎに外出して、JR東金線成東駅から北東へ1kmほどの場所に向かいました。

概要

光明寺裏山にあたるこの場所は富田城の跡とされています。

富田城散策

城域まで

南西、山武警察署の北あたりから城域を見ます。
城域の南側麓にある光明寺。
この裏手からも城域方面へ行けるようですが、今回は利用していません。
南東から城域へ登る道。
城のある高台へ登る道はまるで山道です。
東側から城域へ向かうと土塁らしき物が目に留まります。
土塁遺構らしき物。
これが城域の東端とするかは判断が分かれる所な様です。
城域の東側にある富田みどり里山公園。
公園内には天保期から慶応にかけて富田村の名主だった大高善兵衛の墓があります。
間引きをやめさせ、小児教育に力を入れた人物だそうです。

城域

公園から西へ進みます。
城域とされる場所にある忠魂碑。
忠魂碑付近の南側下にある郭。
小さな神社が建てられているのが見て取れます。
その郭の西側。
東側とは藪などで隔てられています。
虎口。
虎口の内側は城域先端付近となっています。
虎口脇の土塁。
主郭跡と思われる城域西側先端部を見ます。
ざっと見た所、大高家の墓域となっている様に見えました。

富田城歴史

この城の歴史について詳細は不明です。
付近にある成東城の支城だったとも思われますが、戦国時代は村人の逃げ城だったとも云われている様で、だとすれば現在公園となっている平場は収容スペースとも取れそうです。

感想など

電車内で寝過ごしてしまい成東駅で下車したため、その近場をgooglemapで調べて探索しました。
駅からさほど離れていない住宅地なのに高台に登る道は突然山道の様になっていたりといった点で面食らったりしました。ちなみに帰路は帰路は日没後に同じ道を下ったためかなり慎重に降りました。
城域は少し離れた東側に土塁があり、城域は範囲も判然としませんが逃げ城なら少し広めなのも納得行くかも知れません。

参考

余湖くんのホームページ

古城盛衰記

googlemap

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