22/3/21 下野岡本城

概要

この日は昼頃に外出してJR宇都宮線岡本駅から北へ3km弱の場所に向かいました。
この場所は岡本城の跡とされ、現在も主郭の遺構が残されています。

城域南東から主郭へ向かおうとしましたが、途中で道が塞がれていたため南西から向かいました。

岡本城散策

主郭まで

城域外縁部に当たる5郭の城塁。
南の小学校側に当たります。
城域南東、5郭東端に当たると思われる辺り。
城域南西から主郭へ向かう道。
4郭に当たる場所にあると思われる自治会館と説明板。
主郭の南側から東を見ます。
3郭と右側の畑は堀跡と思われます。
稲荷神社南を2郭空堀跡を西から見ます。
稲荷神社から2郭空堀を見下ろします。
2郭内にある稲荷神社境内。
主郭を南側から見ます。
2郭と3郭ですが、畑と太陽光発電所となっています。

主郭

主郭付近にある説明板。
主郭南側の空堀。
主郭虎口。
主郭内。
主郭内南西からの土塁。
主郭南東土塁上から郭内を見下ろした物。
主郭南東の空堀。

岡本城歴史

この城は南北朝時代に宇都宮氏に仕えた芳賀氏の庶流で芳賀高名の弟である岡本富高と云われている様です。
その後室町時代の1462年に玉生綱重によって築かれたとも云われている様です。玉生氏は川崎城主籐姓塩谷氏の流れを汲み、玉生城を本拠として宇都宮城北の守りを担っていた様です。岡本氏と玉生氏どちらによって築かれたかはっきりとはしないものの、戦国時代には玉生氏が城主となっていた様です。
また玉生氏の本拠は岡本城に移っていたとも見られている様です。
1597年、宇都宮氏が改易された事により廃城になったと見られています。

感想

結構な規模があったと思われる城ですが、主郭のみが残されて整備されているといった様相となっています。
梯郭式で広がっていたと見られている郭は現在、何となく地形で想像できるといった程度ですが、主郭は折りのある空堀などそれなりの遺構が残っている印象でした。

参考

現地説明板

余湖くんのホームページ

岡本城(下野国) – Wikipedia

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