21/9/8 大窪城

この日は昼前に外出し、西へ1kmほどの場所にある暇修館へ向かいました。

概要

現在暇修館が建っている場所は大掾氏によって築かれた大窪城の跡と云われ、現在も遺構が残っています。

大窪城散策

城域東、城域入り口にある暇修館と城跡を示す石碑。
主郭へ向かう道。
両脇の平場は郭ですが、宅地や畑地となっています。
右手側、主郭東の郭に土塁が見受けられます。
主郭にはる城跡碑と説明板。
主郭内に建っている暇修館。
1839年、水戸藩によって建てられた郷校だそうです。
暇修館の裏手に残る主郭土塁。
主郭西側の土塁。
土塁の上から見る堀跡。
主郭西側の堀跡。
主郭南側の道は現地説明板では大手口としています。

大窪城歴史

この城は平安時代末期の1177年に常陸平氏の大掾宗幹が愛宕山に城を築いたのが始まりと云われています。
14世紀、陸奥石川氏である石川詮光の三男、茂光が佐竹氏に仕え、初代大窪城主になったとされています。その後8代200年に渡って大窪氏が城主として大窪郷を支配したと言われています。
1602年、佐竹氏が秋田へ転封された際に廃城になりますが、城主久光は反対し車斯忠らとともに水戸城を占拠しようと試みて失敗し処刑されたのだそうです。
1839年、大窪氏末裔と思われる大窪光茂が水戸藩に城跡の一部土地を提供されて、郷校である暇修館が建設されます。光茂が初代館主となり、身分を問わず様々な教育を行ったと言われている様です。

感想

下調べ段階ではそれなりの遺構が残っているイメージでしたが、実際は主郭周辺に限られます。
しかし西側の堀跡は見応えありますし、現在残っている暇修館は復元された物ながら江戸時代からの面影を感じさせます。

参考

現地説明板

余湖くんのお城のページ

攻城団


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