この日は午前のうちに外出して、JR常磐線高萩駅から北へ1.5kmほどの場所にある竜子山へ向かいました。
概要
この場所は松岡城の跡とされていますが、室町時代に築かれた山城と麓に近世に整備された部分で構成されています。
松岡城散策
城下
登城に際しては最短ルートで城下町に当たる部分を通らずに行ってしまいましたので、帰路に撮った部分となります。
藩庁跡
陣屋とも見られている藩庁は現在小学校となっていますが、一部遺構も残っています。
丹生神社~居館
丹生神社と番所跡は後で回った場所です。
山頂まで
松岡城歴史
戦国時代まで
この城の築城年代は定かではありません。
鎌倉時代に豪族の手綱太郎、植田小四郎らが築いたのが始まりとされているようです。
室町時代、1416年に勃発した上杉禅秀の乱で佐竹氏とともに戦功あった地頭大塚貞成が城主になり、大塚氏の頃に竜子山城は山城として築かれたと見られています。
1485年、大館城主である岩城常隆に攻められて落城、大塚氏は岩城氏に服属することになります。
1568年、城主親成が留守の際に佐竹義重、山尾城主小野崎義昌の軍勢が攻めてきますが、親成が岩城氏の援軍を連れて帰還、撃退したと云います。
1590年、小田原の役後、常陸国を安堵された佐竹氏の家臣となりますが、それ以前に勢力を増してきた佐竹氏に押されて服属していたとも云われています。
1596年、城主隆通が陸奥国楢葉郡折木に移り、一旦廃城となりました。
江戸時代
1602年、戸沢政盛が4万石を与えられて入城し、松岡藩が成立します。政盛の頃に麓の整備が行われ、山城から平山城に移行したようです。
1622年、政盛は出羽国新庄に6万石を与えられて転封し廃藩となります。4万石のうち3万石が水戸藩に編入され、そのうち2万石が付家老中山信吉の所領となります。
1646年、信吉の子で、やはり水戸藩付家老の信政が入城します。
1707年、中山氏6代目信敏は5000石を加増されて常陸太田へ移り、空城となります。
1803年、中山氏10代目信敬は松岡に居城を移し、城や城下町を整備しました。城が現在の形になったのはこの頃と思われます。
これは信敬が水戸藩5代目藩主徳川宗翰の子だったものの中山氏を婿養子として継承した事から、中山氏の地位を上げようとした一環と思われます。
1868年、中山氏14代目信徴は明治政府より水戸藩から独立した常陸松岡藩初代藩主となります。
1871年、廃藩置県によって信徴は藩知事を免官され、廃城となりました。
感想
室町時代から幕末まで断続的に用いられたとされている城で、山城に始まり麓の平山城に改築されたと見られています。
信敬の頃に整備されたと思われる城下町の、雰囲気を残すお屋敷通りや麓の水堀などは見どころと言えます。
やはり麓にある居館部分までは探索し易いですが、山城部分は思いの外広く、主郭周辺を彷徨いたものの横堀や堀切といった遺構を見つけるに至らないなど、把握出来ない有様でした。
参考
現地説明板
日本城郭全集3
常陸松岡藩 – wikipedia