この日は昼頃に外出して、東武日光線家中駅から東へ1kmほどの場所にある光明寺へ向かいました。
概要
この場所は細井城の跡で、現在も遺構が残っています。
また光明寺にあることから光明寺城とも呼ばれているようです。
細井城散策
南から城域と光明寺山門。
光明寺境内を大きめの土塁が取り巻いています。
(左)山門左手(西側)の空堀と土塁。
(右)山門右手(東側)の土塁。
(左)城域西側の空堀を通って北側へ抜けます。
(右)城域北側の土塁開口部。後から改変された物と思われますが、不明です。
城域北東側の土塁。
土塁脇の道はかつて水堀だったようです。
(左)城域北東端から見た土塁。
(右)城域北側、堀跡の道からさらに北にも空堀跡らしき遺構が見受けられます。
光明寺境内。
かつての主郭であることは間違いでしょうが、周囲の遺構から他にも曲輪があったと思われます。
(左)境内から山門右手側の土塁を見ます。櫓台状の大きめの土塁上には建物が建ってますが、現在はカフェになっているそうです。(山門前に看板がありますが、この建物という事は後で知りました)櫓台から曲輪を見下ろして飲むコーヒーというのも味わい深い物がありそうです。
(右)境内から西側の土塁を見ます。
南西から見た城域遠景。
細井城歴史
この城は1555年頃、細井光明によって築かれたと云われています。
光明については皆川氏家臣、小山氏一族で小山氏家臣などと云われてはっきりしていないようです。
光明によって築かれた城ですが、1560年に壬生義雄に攻められ落城したのだそうです。
そのまま廃城になったと思われますが、細井氏や光明については定かでない模様です。
感想
現在は単郭のような様相ですが、外郭があったようです。
現在は主郭の遺構しか残っていませんが、特に土塁が良く残っている印象です。