大久保城を再訪した後、その北1kmほどの場所にある真蔵院と言う寺院へ向かいました。
その裏手の高台に武石城があったとされています。
(中)真蔵院。806年開基と伝えられているようです。
(右)真蔵院から城域の高台を見たもの。
(中)城域内。現在は主に畑地や墓地となっています。
(右)城域の北よりには愛宕社があります。向かおうとしましたが、道が細くなって途切れがちだったので断念しました。
この城は千葉常胤の三男、武石胤盛が平安末期か鎌倉初期に築いたとされています。
常胤は源頼朝に従い、その武勲から論功行賞で与えられた所領のうちから陸奥国の亘理を盛胤に譲ったのだそうです。
そして盛胤の孫にあたる内の一人である宗胤は亘理の所領を継ぎ、その孫である広胤からは亘理氏と名乗りました。
そして武石に残った一族はその後も千葉氏に仕えていたようですが、詳細は分かっておらず次第に勢力を失っていったものと思われます。