こんばんは。
ようやく前回のグスク巡りの画像データを移しました。新しいメモリースティックが欲しいですが・・・
今回は多多名グスク『近辺』です。
このグスクに行くには、サザンリンクスゴルフクラブの敷地を通り抜けるそうです。そして、実際そこに標識がありました。
グスク方面へ歩いていきます。右手側はコースを作っているのか整地されて芝が敷かれています。
一応、山をなす土砂の上に立ってグスク方面を見てみますが、一面雑草が生い茂って進入経路など見当たりません。
これは無理です・・・仕方なくゴルフクラブから出てグスク域の北側を探してみます。
ンヂャガー
グスク北側の農道沿いにあったカーです。
中央の写真は案内板の後ろにあったくぼみですが、これがそうなのでしょうか・・・だとしたら、もう枯れたのかもしれません。
何でもここは多多名グスクの水源であり、多多名グスクを攻めた南山軍はここを制圧することでグスクを落としたそうです。上原按司を滅ぼしたという多多名按司もより大きな勢力に倒されたようです。
安里之殿
これも農道沿いにありました。ただの拝所でなく、殿(ドゥン)とは古の時代、集落を創設する際に祭祀のために設けられた場所だそうです。
これは安里集落の祭祀が行われる場所、と言うことになります。
多多名グスク案内板
多多名グスクの案内板。標識からは直線距離で1Kmは離れていそうです。
「この急な坂道を登った山の頂」という文章がすばらしいです。まさかこれを登れと言っているわけではないでしょうが・・・
汗水節の碑
いわゆる文学碑という物です。『汗水節』を作った人が具志頭村出身と言うわけです。多多名グスク案内板脇にあるのですが、自分がここに来る前、観光バスが五台ほど止まっていました。そんなに人が入るスペースではありませんから、入れ替わり立ち代り見学したのでしょう。
旅行ツアーってまどろっこしいですね。
玻名城古島遺跡(案内板)
これもグスク案内板の前に立っていました。「古島遺跡」というのは集落跡のことだそうです。
玻名城集落はその昔花城(多多名グスク)内にあり、それが移動していき現在の位置になったのだそうです。
具志頭園地遊歩道
グスク案内板から東へ百メートルほどの場所にあります。
遊歩道、場所的には戦跡公園のようでグスクとの関連は無しですので、ここを歩いて時間と体力を無駄にはしませんでした。
結論
なぜグスクに入れないんでしょうか・・・
案内板や標識も立てているのですからグスクへのちゃんとした道も確保して欲しいものです・・・本当に(怒)
コメント
入れないってことは・・・
も、もしやグスクの周りに結界が・・・∑( ̄□ ̄;)!
そういえば、琉球は他国に対して武器を持たなかったって聞いたことがあります。
最近になってフト思ったんですが、じゃあグスクを攻める時ってどんな武器を使ったんですかねぇ。槍?弓矢?刀?
>まぁきぃさん
結界ですか・・・確かにあの土砂とゴミの山は禍々しいものを感じましたね。
あの時代でしたら普通に槍や弓矢、刀などでしょうね・・・第二尚氏三代目の尚真王の時代に刀狩が行われるまでは普通に武器が用いられていたはずです。