この日は昼前に外出して真岡鉄道茂木駅から北に1.3kmほどの場所にある城山公園へ向かいました。
概要
茂木城散策
(左)南から見た城域。
(中)城山公園に向かう途中にある平場。主郭の南側にあり腰曲輪だったと思われます。
(右)平場から見上げると堀切らしき地形が見えます。
(左)城山公園入口。主郭虎口に当たります。
(中)主郭内。奥に当たる西側には土塁があります。
(右)説明板。
城山公園駐車場にある縄張り図。
(左)主郭西側土塁。
(中)土塁上の様子。
(右)土塁上から主郭を見ます。
(左)主郭西側には堀切を隔てて小曲輪があります。
(中)主郭西側堀切。
(右)主郭から南側の市街地を見下ろします。
(左)城域の東側にある大手門跡。大手門は両脇が迫り出しています。
(中)大手門の南にある出丸跡。
(右)出丸と駐車場の間の空掘。
(左)出丸の東にある櫓風展望台。
(中)展望台の更に東、城域東端付近の腰曲輪状地形。
(右)東側から展望台を見ます。
(左)大手門内側にある千人溜。
(右)千人溜にある池跡。
(左)城域西側にあるニの曲輪虎口付近。左手側は水堀跡のようです。
(中)ニの曲輪内。
(右)ニの曲輪下、水堀跡の脇にある鏡ヶ池。
(左)城域東側から北側へ回り込む道。
(右)城域北側の堀跡から三の曲輪を見ますが、藪で進入出来そうにありません。
茂木城歴史
この城は1192年に鎌倉幕府の御家人である八田知家の三男、茂木知基によって築かれたと云われています。
その後茂木氏代々の居城として用いられますが、南北朝時代の1336年、北朝方に従って戦っていた城主知貞の留守を付いて南朝方が攻め寄せ落城するも家臣らの奮戦で奪還します。
その後も南北両軍の小競り合いがあるなど北朝方の拠点として用いられます。
戦国時代に入ると、結城氏や宇都宮氏と緊張関係になり、茂木氏は佐竹氏に従うようになります。
1590年の小田原の役に際して、城主治良は佐竹氏と同様豊臣方に付き所領を安堵されます。
1594年、佐竹氏領内の配置換えにより茂木氏は小美玉市の小川城に移され、替わって須田盛秀が城代となります。
1610年、佐竹氏が秋田へ転封となり須田氏もそれに従います。替わって茂木に1万石で入った細川興元は城の代わりに陣屋を構えたため廃城となりました。
参考
現地説明板
関東の名城を歩く 北関東編