今日は午前中の内に外出して、いすみ鉄道国吉駅から北東へ2kmほどの場所にある万喜城跡公園へ。
山旅ロガーGOLDにて記録した物。
実際には3.5km近く歩いています。
城域北端からの遠景。
登城道を進むとトイレの当りから傾斜がキツくなって来ます。
そしてその右手側は城塁となっており、結構な高さがあります。
道を進むと左手側にも小規模な曲輪が幾つか配置されています。
(左)登城道を登り切ると駐車場があり、付近には説明板があります。<br >しかし公園として整備されているにも関わらず、城内には詳しい案内板が無いのが不便と感じました。
(右)駐車場の北側に隣接して一段高くなった曲輪。祠が祀られています。
(左)駐車場付近から見た展望台。
(中)駐車場から本曲輪へ向かう道の内、西側の道が通行止めのようだったので、もう一方の東側の道を進みました。
(右)ニの曲輪を北側から進む道。
ニの曲輪内。
奥に見える一段高くなった曲輪は「倉ノ台」と呼ばれ、本曲輪と見られているようです。
またこの曲輪には土岐氏に仕えた剣豪、神子上典膳の説明板があります。
(左)本曲輪南側を下った所にある堀跡らしき遺構。
(中)堀跡の外側にある帯曲輪らしき道を進んで行きます。
(右)南側から見た本曲輪方面。
南側へ進んでいくと細尾根道となります。
(左)尾根道の東側に見える堀切。
(中)尾根道の西側の堀跡を見下します。
(右)城域南端付近と思われますが、道が分からなくなったので引き返します。
引き返す際のルートを再度山旅ロガーで記録した物。
ちなみに倉ノ台の下まで350mほどでした。
もっと長く感じたのは道がキツめだったせいかも知れません。
(左)倉ノ台北側にある虎口らしきもの。
(中)倉ノ台
(右)展望台方面を見ます。展望台が建っている場所は櫓台だったと見られているようです。
(左)展望台から西側を見ます。
(右)北側を見たもの。東と南は木々に阻まれて遠くは見えませんでした。
帰りながら南西から見た遠景。
僅かに展望台の屋根らしき物が見えます。
この城は美濃国守護である土岐氏の一族である上総土岐氏の居城だったと言われていますが、上総土岐氏の来歴については詳細は分かっていないようです。
戦国時代の城主、土岐為頼は里見氏に属し、婚姻関係を結ぶなどしていました。
しかし1564年第二次国府台合戦で里見氏が惨敗すると後北条氏に付きます。その後万喜城は後北条側の最前線拠点となり、度々里見氏側に攻められるもその要害から落とされる事はなかったのだそうです。
特に為頼の子頼春の代である1588年から里見義康の命により正木氏や長南武田氏らのより数度に渡って攻撃を受けるも全て退けたと言われています。
しかし1590年の小田原の役に際しては頼春は小田原に詰め、城は豊臣勢の攻撃に寄り落城。
土岐氏は滅亡します。
そして徳川家康が関東に入封すると、その重臣である本多忠勝が一旦入城しますが忠勝がすぐに小田喜(大多喜)城に移ると廃城になったようです。
今回の散策である程度は見て回りましたが、思ったより大規模だったためまだ回れていない部分も多そうです。
それでもある程度満足出来たので再訪があるかは微妙な所です。