26/9/27 下堀城

神奈川県の城郭

この日は遅めに外出してJR東海道線鴨宮駅から北北東へ1.5kmほどの場所へ向かいました。

概要

この周辺は下堀城の跡とされ、四方を囲む堀跡が残っています。

下堀城歴史

この城は小田原市史では『大日本国誌』からの抜粋として、武田氏家臣の志村氏が居を置いたと云われている様です。現地説明板でも同様の説明がなされているものの、市史が引用する『大日本国誌』には、志村左膳の名が記されています。
市史が紹介する伝承によれば、左膳は当初武田信玄の命で原土佐守重政とともに駿河国竹ノ下村に移ったものの、後に下堀村に居を移したと見られている様です。
余談ですが左膳とともに竹ノ下に移った重政ですが、市史では大日本国誌に美濃守の子と記されている事から、原美濃守虎胤の子と推測しています。ただ重政の動向については不詳で「大日本地誌大系」には現在の秦野市下大槻に当たる下大槻村の牛頭天王社の棟札に、同村の地頭として名が記されているという記述があり、秦野市公式webサイトにも同様の記述がなされています。
当城が築かれた時期や経緯、いつ頃まで用いられたか、左膳が当地に移った経緯やその後については不詳です。
ただ市史によれば、城域を中心に志村氏の末裔とされる家々が集住しているといいます。

感想など

城域は四方を堀跡に囲まれています。
堀跡は現在水堀の様相で、訪問時は水堀と思っていましたが、現在は用水路として利用されており、かつて水堀だったかどうかは確かではありません。
また城域内は宅地化されており、各種資料には西縁に土塁が残るとされていますが、現在は宅地内で藪に覆われ、確認が困難な南西隅付近内部を除くと湮滅している様に見えました。

参考

コメント

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