この日は昼頃に外出し、JR両毛線思川駅から北北西へ1.5kmほどの位置にある御城稲荷神社へ向かいました。
概要
この周辺は梶原氏が築いたという小薬城の跡とされ、遺構の痕跡は見受けられます。
小薬城散策


写真は左手側(西側)の物です。



左手側に見える境内の高まりを見るに、堀跡を用いているものと思われます。


もっとも城館らしさを感じる部分です。





小薬城歴史
この城は、鎌倉時代に梶原景則によって築かれたと云い伝えられています。景則は鎌倉時代初頭の有力御家人だった梶原景時の子とされる人物です。
伝承では、1200年に起こった梶原景時の変で梶原氏一族の多くが討ち滅ぼされた後、景則は小山に落ち延び、小山朝政から小薬の地を与えられて居館を築いたとされています[1]。ただし、この景則築城伝承をそのまま裏付ける史料は確認できず、鎌倉時代の小薬郷については長沼氏の所領として見える史料もあるため、伝承として扱うのが無難です。
その後、小薬城には梶原氏が18代にわたって居を置いたとも云われていますが、歴代城主の名前や動向については伝わっていません[2]。最後の城主とされる景家についても、小山秀広に仕え、小山氏没落後に会津へ移って蒲生氏・仁科氏に仕えたとする伝承がありますが、確認できる情報は限られます。
一方で、『栃木県の中世城館跡』では鎌倉府奉公衆梶原氏の所領であったと記載されており、中世後期には小薬郷と梶原氏の関係を示す史料も見えるようです。そのため、景則築城伝承の真偽は別として、小薬城が梶原氏に関連する城館であった可能性は考えられます。
感想など
鎌倉時代に築かれたと云われている城館で、御城稲荷神社が主郭跡とされています。
神社周辺は宅地となっていますが、境内は水路や地形が城館跡である事を偲ばせる雰囲気となっています。
「栃木県の中世城館跡」では複数の郭があったと記述されていて、鎌倉時代の小規模な居館から拡張された形態であったと考えられますが、主郭以外の跡を辿るのは難しくなっています。
ただ境内の東100mほどの場所には溝状地形があり、その南へ辿ると称念寺西側の低地へ繋がっている事からこれが城域東縁だった可能性はありそうです。
参考資料
- 栃木県の中世城館跡
- 小山郷土之由来
- 栃木の苗字と家紋 上巻

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