この日は昼過ぎに外出して東武日光線新大平下駅駅から南東へ2.5kmほどの場所に向かいました。
概要
この場所は榎本城の跡とされていて遺構が僅かに残されています。
榎本城散策



デジカメで正面から撮るのは難しいです。


奥は宅地となっています。



榎本城歴史
この城は1558年に小山城主の小山高朝が支城として築き、次男の高綱を城主にしたそうです。
ただこの数年前の弘治年間には当城は既に築かれていたともされている様です。
築いた当時は小山氏が後北条氏に備える目的であったと見られていますが、まもなく小山氏は後北条氏に従う事となったそうです。
その結果当城は小山城と共に後北条氏と上杉氏による争いの舞台となり争奪が切り広げられます。
1590年、小田原の役当時は後北条氏家臣の近藤実方が城主であったそうですが、実方は八王子城の戦いで討たれ、城は小山氏の同族で豊臣方として参戦していたある結城晴朝によって落とされたそうです。
結城氏は平安時代末期に小山氏から分かれた分家ですが、晴朝は高朝の実子(三男)で結城氏の養子となっていました。城は1603年まで結城領として用いられますが廃城となります。
1605年、本多忠純が1万石で入封し榎本藩が立藩します。
1615年、大阪夏の陣での戦功により皆川1.8万石を加増され2.8万石となります。
しかし1631年に忠純が没した後は藩主が早逝し続け1640年に無嗣断絶により廃藩、城も廃城となりました。
感想
現在明確な遺構が残っているのは城跡碑裏の1ヶ所だけでそれ以外は宅地や畑地などになっていて面影はあまり感じられませんが、明治初期の迅速地図には複数の郭跡らしき区画と堀跡らしき地形が見えます。
それによれば現在残る遺構は北側郭内側の物であったと推測されます。また周辺の道路は城内のの区画をある程度トレースしている様ですが、ほぼ均されてしまったのが残念な所ではあります。
参考資料
- 現地説明板
- 栃木市史 通史編
- 栃木市の歴史
- 三百藩藩主人名事典 第1巻

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