この日は昼過ぎに外出して、JR常磐線松戸駅から南東へ300mほどの場所にある松戸神社へ向かいました。
概要
この松戸神社周辺は松戸陣屋の跡と言われていますが、遺構などはありません。
松戸陣屋散策
(左)北側からの松戸神社鳥居。
(右)西側からの神社鳥居。
(左)境内の西側を流れる坂川。
(右)神社境内。
高木正次の墓
神社の南側にある松龍寺。
(左)松龍寺墓地には陣屋の主と言われている高木筑後守正次の墓があります。
(右)墓前にある説明板。
西側、坂川の対岸から見た陣屋跡遠景。
松戸陣屋歴史
この陣屋は1592年、徳川家康に使える旗本である高木筑後守正次によって築かれたたと言われています。
ちなみに同時代に旗本から大名になった高木主水源正次という、同姓同名の人物がいて紛らわしいです。
正次は家康に仕えて姉川の戦いや小牧・長久手の戦いなどで武功を挙げた高木広正の次男で、父とともに松戸に所領を与えられ、松戸城跡で現在の戸定邸の場所に居館を置き(戸定陣屋)、神社の場所に陣屋を置いていたのだそうです。
1623年には3300石となっていたようですが、1651年に没し養子正勝を跡を継ぎます。
しかし正勝は1683年に跡継ぎがいないまま没しそのまま無嗣断絶となったそうです。
ただ千葉県文化財センター研究紀要では高木氏の陣屋は戸定陣屋のみで、松戸神社には最終的に4000石を領する大身の旗本となった秋山正重が陣屋を構えていたと推測しています。
正重は甲斐武田氏に仕えた秋山信友の弟、信藤の曾孫で1623年には小金で4000石を領し、1632年には幕府で大名などを監視する大目付の職に任じられています。
参考
千葉県文化財センター研究紀要28
現地説明板
江戸の名残香を訪れて