この日は昼過ぎに外出してJR成田線我孫子支線新木駅から西へ700mほどの葺不合神社に向かいました。
概要
この場所は新木城と呼ばれる城郭があったと云われているそうです。
新木城散策
葺不合神社南側の鳥居。
鳥居を潜ると石段を降りて行きます。
参道を進むと二の鳥居と石段があります。
石段の先は拝殿が建っています。
拝殿の裏手は高台になっていて、本殿が建っていますが、石段は閉鎖されていました。そのため本殿とその裏手は探索していません。
拝殿の更に裏手は雑木林の様ですが、東側は耕作地となっています。
拝殿西側から高台に登ります。
舌状台地先端部に当たる平場。
舌状台地先端部から北側を見ます。
境内の拝殿を見下ろします。
新木城歴史
この城が築かれた時期は定かでありませんが相馬氏によって用いられ、柴崎城主荒木氏発祥の地とされている様です。時代は不明ながら荒木胤重が城主として在城し、後の時代に田口内蔵之助と呼ばれる城主がいたと云われています。
ただこれらの城主は創作とする見方がある様ですが、新木には内蔵之助の末裔とされる旧家がある様です。
また城は1590年、小田原の役に廃城になったと伝わっている様です。
感想
この城は西へ突き出した舌状台地上にあったとされている云われているそうですが、所在地や存在は確定していない様です。神社本殿がある舌状台地は湿地帯に囲まれていたとされ、要害性を感じさせる事から城があったという事で納得出来る場所となっています。
城域とされる場所の多くは本殿裏手の雑木林となっていて、「七つ井戸」と呼ばれる井戸の跡があったとも言い伝えられている様ですが、上述の通り今回は本殿とその周辺は探索出来ていません。
参考
東葛の中世城郭
千葉県東葛飾郡誌
あびこ風土記
我孫子の史跡を訪ねる : 我孫子市史跡ガイドブック