この日は遅めに外出してJR内房線八幡宿駅から南西へ1.5km弱の場所に向かいました。
概要
この周辺は白船城と呼ばれる城郭があったとされていますが、宅地化により現在明確な遺構や城跡を示すものは見受けられません。
白船城散策
白船城歴史
この城が築かれた時期は定かでありません。
ただ室町時代には市原真常が城主だったとされています。
1471年、真常は千葉氏宗家を滅ぼした馬加康胤の子である胤持を八幡合戦で討ったと伝承されている様です。しかし八幡合戦が起こったのは1456年の事で討たれたのも康胤とされている為、伝承に誤りが生じている可能性が高そうです。ちなみに胤持は八幡合戦より前、馬加城陥落に際して討たれた模様です。
また市原氏は千葉氏家臣とする資料もあり、千葉氏宗家を滅ぼした馬加氏を討とうとするのは当然と言えるかも知れません。
感想
北東から南西に掛けて長さ450m強と思いの他規模は大きめの城域ですが、宅地化により遺構はほぼ湮滅してしまっています。とはいえ腰曲輪跡も含めて地形自体は往時を留めていると思われます。
ただかつては天守を模した料亭が存在していたとの事で、城跡として認識されていた可能性がありそうですが、現在は料亭があった場所もマンションになっているようで案内板や標柱も無いことから城跡として認識はされ難いと思われます。さらに住宅地ということもあり、写真撮影は非常にやり難い印象でした。
また探索に際しては堀切から北東側のみの探索となっていて、南西側は地図で見た限り道が袋小路となっているため探索はしていません。
参考
日本城郭大系 第6巻
千葉県市原郡誌
姓氏家系大辞典 1
白船城の主 – 市原市歴史博物館