24/9/15 岡見城

この日は昼過ぎに外出してJR常磐線牛久駅から東へ2.8kmの場所へ向かいました。

概要

この場所は南北朝時代に築かれた岡見城の跡で、広範に遺構が残っている様です。

岡見城散策

西側から見た城域。
城域の西端に建っている城跡碑など。
この裏側は主郭である本殿の跡となっています。
本殿西辺の土塁。
西辺土塁家から本殿内を見下ろしますが、藪がひどくて中は見通せません。
本殿北側を通り抜ける道。
本殿北側の空堀跡。
本殿東側の帯曲輪。
帯曲輪と土塁。
本殿北側、道を挟んだ場所にある平場。
本殿の東に位置している西殿は私有地の様です。

岡見城歴史

この城は南北朝時代に小田治久の二子某によって築かれたと云われ、これによって岡見氏の発祥とされている様です。
岡見氏は戦国時代に掛けて周辺に勢力を広げ、牛久城を築いて本拠を移します。
牛久城に本拠が移った後も足高城や東林寺城とともに支城として用いられていたとされています。
戦国時代に小田氏宗家が没落すると後北条氏方に属していく事になった模様です。
1590年、小田原の役で後北条氏が没落した際に廃城にされた様です。

岡見城感想

南北朝時代から安土桃山時代に掛けて用いられたとされる当城は本殿から南西に1.3km先まで断続的に続いている様です。
大きく分けて本殿、西殿、八幡山、南殿、物見山と5つの区画に分けれている城域は思いの外広大と言えますがそれほど整備されておらず、本殿以外は現地案内が無いため全体的に踏破するのは骨が折れそうな印象です。
また本殿付近は何故か蜘蛛の巣が異様に多く、数歩歩く程度で引っかかる様な勢いだったため木の枝を振り回しながら探索したりしたため、訪れる方は注意が必要かも知れません。

参考

重要遺跡調査報告書 2 (城館跡)

余湖くんのホームページ

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