22/11/11 戸崎城(君津市、再訪)

この日は午前の内に外出し、JR久留里線俵田駅西へ1kmほどの場所にある皇産霊神社へ向かいました。

概要

この周辺は戸崎城の跡で、現在も遺構が残っています。

戸崎城散策

城域まで~皇産霊神社

南から見た城域遠景。
城域を取り巻くように流れる小櫃川。
皇産霊神社鳥居。
鳥居脇には堀切らしき物が見えます。
鳥居から境内へ向かう参道は横堀跡とも見られています。
皇産霊神社社殿。
境内に設置された城跡碑。
南西隅から境内を見ます。
境内は主郭より高く、物見であったと思われます。

主郭

社殿裏手、北側から伸びる主郭土塁。
土塁西側の空堀跡。
主郭内は竹藪となっています。
主郭東側縁部付近にある土壇。主郭内には古墳らしき土壇が複数あります。
主郭西側土塁を北に進んでいきます。
主郭北西の土塁が折れている辺り。
土塁は北から東へ向きが変わります。
主郭北側の虎口跡らしき開口部。
主郭北側の空堀跡。

戸崎城歴史

この城は里見氏によって築かれたとされているようで、戸崎玄蕃頭と呼ばれる城主がいたと言われているようです。
1588年、里見氏が万喜城の土岐氏を攻めていた間隙をついて侵攻してきた後北条氏の支配下に置かれた様です。
後北条氏は当城を足がかりに久留里城を攻めようとするも里見氏が守りを固めたため断念したと言われています。
1590年、小田原の役に際して、後北条氏は城を放棄して引き上げようとした所、里見氏はこれを追撃したとされています。
しかし同年、里見氏は上総を没収されて徳川家康が関東転封されると廃城になったようです。

感想

以前探訪しましたが、道を間違っていて到達した時には日没していたためまともに探索出来なかったため今回再訪となりました。
主郭周辺は遺構が良く残っている様に感じられますが、主郭自体は竹藪となっています。
土塁を辿ったり、主郭北側などは見応えありますが竹藪のため見通しは良くなく疲労も大きいです。

参考

日本城郭全集 3
余湖くんのホームページ

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