21/8/5 松岡城

この日は午前のうちに外出して、JR常磐線高萩駅から北へ1.5kmほどの場所にある竜子山へ向かいました。

概要

この場所は松岡城の跡とされていますが、室町時代に築かれた山城と麓に近世に整備された部分で構成されています。

松岡城散策

城下

登城に際しては最短ルートで城下町に当たる部分を通らずに行ってしまいましたので、帰路に撮った部分となります。

関根川の対岸からにあるお屋敷通り入り口。
道が屈曲しているのは往時からと思われます。
関根橋から城域方面を見ます。
関根橋から東側を見ます。
関根川は天然の外堀として用いられたものと思われます。
城下町の面影を残すお屋敷通りから城域を見ます。

藩庁跡

陣屋とも見られている藩庁は現在小学校となっていますが、一部遺構も残っています。

かつての大手門跡手前にかかっている大手橋。
大手橋から西側を見ます。
城域の一部だった小学校西側の道。
道を進むと左手側にある水堀と土塁。

丹生神社~居館

丹生神社と番所跡は後で回った場所です。

小学校の北側にある丹生神社。
丹生神社西側の水堀跡。
丹生神社境内。
丹生神社の西にある説明板。
説明板脇から居館跡へ向かう道。
道の脇から水堀を見ます。
向こう側は丹生神社です。
城域南西部、番所跡とされる付近の道。
番所跡自体は足の踏み場もない竹やぶとなっています。
居館跡へ向かう道。
居館跡虎口と思われる辺り。
居館跡。
少し奥へ踏み入って見ます。

山頂まで

居館跡の脇から山道を登って行きます。
山道。
山道を登ると、右手側に堀跡の様な地形が見えたりします。
山頂部の山城主郭付近にある井戸。
主郭部付近を彷徨います。
山頂部は思いの他広い上に、見通しも良くなく周辺を把握するのは困難と言えます。
主郭にある櫓台跡。
櫓台の脇から主郭を見ます。

松岡城歴史

戦国時代まで

この城の築城年代は定かではありません。
鎌倉時代に豪族の手綱太郎、植田小四郎らが築いたのが始まりとされているようです。
室町時代、1416年に勃発した上杉禅秀の乱で佐竹氏とともに戦功あった地頭大塚貞成が城主になり、大塚氏の頃に竜子山城は山城として築かれたと見られています。
1485年、大館城主である岩城常隆に攻められて落城、大塚氏は岩城氏に服属することになります。
1568年、城主親成が留守の際に佐竹義重、山尾城主小野崎義昌の軍勢が攻めてきますが、親成が岩城氏の援軍を連れて帰還、撃退したと云います。
1590年、小田原の役後、常陸国を安堵された佐竹氏の家臣となりますが、それ以前に勢力を増してきた佐竹氏に押されて服属していたとも云われています。
1596年、城主隆通が陸奥国楢葉郡折木に移り、一旦廃城となりました。

江戸時代

1602年、戸沢政盛が4万石を与えられて入城し、松岡藩が成立します。政盛の頃に麓の整備が行われ、山城から平山城に移行したようです。
1622年、政盛は出羽国新庄に6万石を与えられて転封し廃藩となります。4万石のうち3万石が水戸藩に編入され、そのうち2万石が付家老中山信吉の所領となります。
1646年、信吉の子で、やはり水戸藩付家老の信政が入城します。
1707年、中山氏6代目信敏は5000石を加増されて常陸太田へ移り、空城となります。
1803年、中山氏10代目信敬は松岡に居城を移し、城や城下町を整備しました。城が現在の形になったのはこの頃と思われます。
これは信敬が水戸藩5代目藩主徳川宗翰の子だったものの中山氏を婿養子として継承した事から、中山氏の地位を上げようとした一環と思われます。
1868年、中山氏14代目信徴は明治政府より水戸藩から独立した常陸松岡藩初代藩主となります。
1871年、廃藩置県によって信徴は藩知事を免官され、廃城となりました。

感想

室町時代から幕末まで断続的に用いられたとされている城で、山城に始まり麓の平山城に改築されたと見られています。
信敬の頃に整備されたと思われる城下町の、雰囲気を残すお屋敷通りや麓の水堀などは見どころと言えます。
やはり麓にある居館部分までは探索し易いですが、山城部分は思いの外広く、主郭周辺を彷徨いたものの横堀や堀切といった遺構を見つけるに至らないなど、把握出来ない有様でした。

参考

現地説明板

日本城郭全集3

余湖くんのお城のページ

大塚政成常陸きこりの会

常陸松岡藩 – wikipedia

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