21/3/26 東林寺城

この日は昼過ぎに外出してJR常磐線牛久駅から南西へ2.5kmの位置にある東林寺へ向かいました。

概要

東林寺の裏山一帯は東林寺の跡とされていて、遺構が残されていますが個人的にはごく一部しか確認していません。

東林寺城散策

東側、稲荷川対岸から見た城域遠景。
城の東を流れている稲荷川。

城と稲荷川の間は桜並木があります。
googlemapによれば新地町桜並木と呼ばれているのだとか。

城域の東にある東林寺。
東林寺の南西にある主郭跡。
主郭の南半分以上は削られて失われている模様です。
主郭にある説明板。

主郭空堀と土塁。

主郭前から南側の牛久沼を見ます。
主郭付近から二郭内を見ます。
民家と農地になっているため探索はしていません。

東林寺城歴史

この城は牛久城主である岡見氏によって築かれたとされています。
岡見氏は小田氏の分家ですが、小田氏が没落した後は後北条氏に属していたと見られています。
当城は岡見氏本拠である牛久城から直線距離で1km程度しか離れておらず、支城として築かれたと思われます。
天正年間、周辺地域は後北条方の岡見氏と佐竹方の多賀谷氏の争いが行われていた様です。
1587年、多賀谷氏は牛久城の牛久沼を挟んだ対岸に当たる場所に泊崎城を築くと、岡見氏の支城である谷部田、足高両城と牛久城を分断し攻略します。
これに対し岡見氏と後北条氏は布川城主豊島氏、小金城主高城氏、坂田城主井田氏など後北条方に属する領主からの応援を得て牛久城を守り切るも、牛久城は後北条方の兵が常駐することとなり(牛久番)、牛久沼を臨む当城もその拠点として用いられたと思われます。
その後詳細は伝わっていませんが、小田原の役後廃城になったと見られている様です。

感想など

この前日に起こった常磐線脱線事故の影響が残っていて電車が遅延し、予定より到着が遅くなりました。
そのため到着した時は日没寸前だったこともあり探索はあまり出来ませんでした。
東林寺付近に行けば進入出来るかと思っていましたが、東林寺境内の表側を見ただけでは進入路を見つけられず主郭周辺を見るに留まりました。
また主郭に隣接した二郭は私有地と思われますので、探索などは行っていません。
城域は広く、時間があれば他の進入路を見つけられたかも知れませんがタイミングが悪かった事も悔やまれます。

参考

現地説明板

東林寺城 – Wikipedia

余湖くんのホームページ

スポンサーリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください