この日は昼頃に外出して、JR水郡線瓜連駅から北東700mほどの場所にある常福寺へ向かいました。
概要
この常福寺境内は瓜連城の跡で現在も遺構が残っています。
この日は不安定な天気で、水戸駅付近では土砂降りに見舞われましたが、到着した地点では雨雲は通り過ぎたようでした。
瓜連城散策
(左)常福寺山門。左手には城跡碑があり、右手側に少し離れて説明板があります。
(右)山門付近にある説明板。
(左)城域南側、常福寺墓地付近の空掘跡。
(中)堀底に降りてみます。
(右)土塁。
(左)城域北西側に空堀跡を確認したので、堀底を進んでいきます。
(中)城域北端部。この辺りで南へ向かって曲がり帯曲輪状になります。
(右)城域東側の帯曲輪。
帯曲輪を進むと城域南東部で墓地に突き当たりました。
(左)帯曲輪の途中にある曲輪への道を登り虎口を抜けます。資料などには城址公園とありましたが、常福寺本堂裏手が整備されたものでした。
(中)(右)曲輪内北端から西側へ向かう土塁。最もよく残っている土塁です。
(左)曲輪内北端部にある源太郎稲荷。ここの土塁は櫓台だったのかも知れません。
(右)源太郎稲荷付近から曲輪内を見ます。
瓜連城歴史
この城がいつ頃築かれたのかはっきり分かっていません。
南北朝時代の1336年、この城は南朝方の拠点となっており一月に楠木正成の一族である正家が正成の代官として入城します。
正家は小田治久、大掾高幹、那珂通辰、相馬胤平ら常陸国内の南朝方諸将とともに北朝方の佐竹貞義らと戦います。
二月には攻めてきた佐竹氏の軍を撃退し、貞義の子義冬を討ち取っています。
しかしその後数度に渡る佐竹氏ら北朝方の攻勢により十二月に落城しそのまま廃城になったと見られているようです。
参考
関東の名城を歩く 北関東編
コメント
[…] 資幹の六代孫で詮国の父に当たる高幹は南朝方に付き、瓜連城に籠城しています。 […]