この日は昼過ぎに外出して東武東上線高坂駅から南東へ1.2kmほどの場所にある清蓮寺に向かいました。
概要
この周辺は正代館とも呼ばれる小代氏の館跡と言われていますが、遺構はほとんど残っていません。
小代館散策
西側から見た城域。
清蓮寺山門と本堂。
本堂脇には小代氏四代目重俊の頃に建立したという板碑が遺されています。
境内西側にある溝は堀跡の痕跡とも見られているようです。
館がある台地の南側下には湧き水があります。
清蓮寺の東にある御霊神社。
城域内とされ、小代氏が館を置く前に源義平が館を置いたという伝承があるようです。
小代氏館歴史
1155年、源義平は叔父源義賢の居館である大蔵館を急襲した大蔵合戦に際して、御霊神社のある場所に館を置いたと云われている様です。
平安末期、武蔵七党児玉党の小西資行次男である遠弘が小代郷を相続し館を置いて小代氏を称したと言われています。
遠弘の子である行平はいわゆる源平合戦で源頼朝の元に加わり、源範頼に従い一ノ谷の戦いなどで戦功を挙げたとされています。
行平には子が無く兄の子である俊平が継いだそうです。
1247年、俊平の孫である重康は、北条氏が三浦氏を滅ぼした宝治合戦にて戦功があり肥後国野原荘の地頭職に任じられます。
1271年、元寇に際して重康や兄弟は野原荘に赴くよう命じられた事で館は廃城になったようです。
小代氏は現地で領主として戦国時代まで存続し、江戸時代でも肥後藩の家臣として存続した様です。
感想
平安末期から鎌倉時代に掛けての館跡ながら遺構が残っている様です。
しかし清蓮寺や御霊神社が建っている台地上は宅地化が進んで遺構を確認するのは困難です。
もっとも遺構が残っていそうなのは清蓮寺の北東ですが周囲の私有地が分かり難く近寄れませんでした。
清蓮寺境内から南側台地下を見下ろします。
参考
現地説明板
余湖くんのホームページ
城跡ほっつき歩き
古城址探訪
武家家伝_小代氏