昨日は遅めの時間に外出して、JR内房線八幡宿駅から東へ2kmほどの場所へ向かいました。
概要
ここは菊間藩庁があった場所だそうですが、現在遺構は残っていません。
菊間藩庁散策
八幡宿駅方面から陣屋へ向かう途中にある新坂と石碑。
陣屋を築いた菊間藩主水野忠敬によって整備された道だそうです。
(左)南から見た藩庁跡。周囲は住宅地です。
(右)西側から藩庁跡を見ます。
(左)陣屋跡にある忠魂碑と標柱。標柱は文字が掠れていましたが、何とか水野氏の文字が読み取れたので藩庁の物と思われます。
(右)忠魂碑のある場所から路地を挟んで北にある盛り土と石碑らしきもの。陣屋との関係は不明です。
菊間藩庁歴史
この藩庁は明治維新後の1869年、駿河国沼津藩から移封された水野忠敬によって築かれました。
沼津藩水野氏は徳川家功臣である水野勝成の弟、忠清の末裔で、1777年から8代92年の間沼津藩主を勤めましたが、徳川宗家の徳川家達が駿府に入城した際に、その所領となってしまうため上総国菊間へ移封となります。
沼津5万石から菊間2.37万石となった忠敬ですが、藩庁や藩校の建設などを行っていたようです。
しかし1871年、廃藩置県により廃止されたのだそうです。
参考
ふさの国文化財ナビゲーション
菊間藩 – wikipedia