この日は昼過ぎに外出して、JR成田線布佐駅から北東へ1kmほどの場所にある利根町役場付近へ向かいました。
前週に続き天気が悪かったため、傘差したりしながら県境を越えました。
概要
この辺りは布川城の跡とされ、遺構がいくらか残っています。
布川城散策
(左)城域南西、利根川対岸の千葉県側から見た遠景。
(中)ニの曲輪跡と言われている役場と本曲輪跡とされている徳満寺の高台との間を通る道は、かつての堀跡と思われますが、あまり面影は感じられませんでした。
(右)帰り際に反対側(北側)から撮った物。
(左)役場方面の道路から本曲輪方面へ向かう道。ここは本曲輪と馬出曲輪間の堀切だったようで、両曲輪を繋ぐ土橋へ突き当たります。
(中)堀切跡から見た土橋。
(右)土橋を馬出曲輪側から見たもの。
(左)馬出曲輪は琴平神社となっています。
(中)本曲輪跡である徳満寺境内にある地蔵堂裏手の櫓台跡。
(右)徳満寺本堂。
(左)徳満寺境内にある説明板。
(中)本曲輪東端部にある標柱。実際にはこの東側には日枝神社辺りまで外郭(説明板での三の丸)があった模様です。
(右)徳満寺の北東にある八幡宮参道。左手側は城塁跡と思われます。
ニの曲輪跡である利根町役場。面影はあまり感じられません。
布川城歴史
この城は1244年に豊島頼保によって築かれたと云われているようです。
頼保と武蔵豊島氏の関係は定かでない様ですが、最後の城主である頼重の子、信満は武蔵豊島氏当主で石神井城主だった泰経の子孫と称していた様です。
戦国時代に至るまで布川豊島氏の居城でしたが、豊島氏は後北条氏の傘下となります。
そして1590年の小田原の役に際して最後の城主頼重は忍城に籠城して討ち死にしたと云われ、城も廃城となった模様です。