昨日は昼過ぎに外出しました。
概要
そしてJR久留里線上総松丘駅から東に500mほどの場所にある北野神社へ向かいました。
ここは千本城があった場所だそうです。
千本城散策
(左)城域西の国道沿いにある入口の石碑
(中)城域遠景。
(右)城域入口。
城域に入ると、北野神社境内まで緩やかな登りが続きます。この道は「男坂」と呼ばれているのだそうです。
(左)主郭跡と思われる北野神社境内。
(中)北野神社由来。
(右)北野神社社殿の後方へ平場が続いています。
(左)北野神社境内から進むと、行き止まりに突き当たります。
(中)先へ進めそうな場所を探した所、段差を下って進めそうな箇所がありましたが、前日の雨で滑りやすそうだったので断念。
(右)段差の先も道らしき物が続いています。
(左)戻りながら、神社境内から降りてすぐに見えた堀切。
(中)城域入口付近まで戻り、「男坂」と別の進入路「女坂」への道を探して進みます。
(右)「女坂」への途中にある堀切。
千本城歴史
この城がいつ頃築かれたか詳細は分かっていないようですが、里見氏の里見義実によって築かれたという云われているようです。
戦国時代には里見氏によって久留里城の支城として用いられ、東平安芸守と呼ばれる家臣が城主を務めていた模様です。
1578年に里見義弘が没すると家督を巡って、嫡男梅王丸と義弘の弟で養子である義頼が争う事になります。
安芸守は梅王丸を支持していましたが、その為義頼側の攻撃を受けて降伏したのだそうです。
1590年、義頼の子義康は小田原の役に際して、豊臣秀吉の怒りを買い所領を安房一国に減封されます。
その際に城も廃城になったようです。