今日は昼過ぎ外出してJR外房線大原駅から東へ1.5kmほどの場所にある小浜八幡神社へ行ってきました。
ここは小浜城があった場所と言われています。
城内で最も広い曲輪跡は現在青年館らしき建物が建っていて、他には説明板や標柱もあります。
また虎口の両脇はコンクリートで固められた土塁のようです。
説明板と標柱。
標柱脇の階段は八幡神社本殿への参道と合流しています。
説明板のある曲輪から南がわの海岸を見ます。
この海岸は丹ヶ浦と呼ばれているようです。
八幡神社本殿への参道。
本殿手前で左右に裏手を周回する道が分かれています。
本殿裏手を周回する道。
どうやら岬先端部にも曲輪があり、その間の堀切としての役割があったようです。
漁港側から見た城域遠景。
本当は砂浜からがよく見えそうでしたが、砂浜への道が分かりませんでした・・・
この城についてですが、説明板にある城主の槍田美濃守と言うのは、鑓田勝定と言う人物のようで、万喜城主土岐氏に属する人物だったようです。
1588年に後北条氏と戦うため三浦にまで侵攻していたのなら、勝定は里見氏に属していて、当時後北条氏に従っていた万喜土岐氏とは離反していたように感じられますが、その後の「1588年に勝浦正木氏に奪われる」(1588年、勝浦正木氏は里見氏に属している)「本田忠勝が大多喜城主になった頃攻め落とされる」(小田原の役?)と言うのは小浜城が後北条側に属していないと考えにくい事柄です。
その為説明板にある伝承からでは鑓田氏が城主を務めていたと言う事しか分からないと思われます。