1/17 岩槻城跡

この日は昼ごろに起きて、それから散策に出ました。

移動中に予定を変えて岩槻へ。
岩槻駅から20分ほど歩いて岩槻城址公園へ。

岩槻城は1457年に太田道真、道灌親子が扇谷上杉家の上杉持朝によって築かれたと言われていますが、1478年に忍城主の成田正等によって築かれたと言う説もあるようです。

戦国時代に入ると道灌の孫である資頼が奪った事で、太田氏の居城になります。
太田氏は山内上杉氏、北条氏の間を渡りますが、資頼の息子資正は越後上杉氏や里見氏と結んで北条氏に対抗しましたが、第二次国府台合戦で里見軍が惨敗したのをきっかけに北条氏の物となります。

江戸時代に入っても江戸を守る拠点として譜代大名が入っていたそうです。

現存している城跡は一部で、新曲輪、鍛治曲輪のみですが、それでも予想以上の規模でした。

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(左)消防署前にある三の丸標柱。

(中)新曲輪内に置かれている城門、通称黒門。どの位置にあったのかははっきり分かっていないようです。

(右)同じく新曲輪にある裏門。

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(左)新曲輪内、人形に関する碑があり、その後ろの土塁は結構大規模です。

(中)新曲輪南端の虎口跡。道がカーブしているのもその名残のようです。

(右)鍛治曲輪内。新曲輪の外側だったようで、低い位置にあります。

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(左)鍛治曲輪の空堀跡。右手側が新曲輪です。ちなみに土管で畝堀を表現しています。

(中)新曲輪南西の堀。ここは球場南側で公園に組み込まれておらず、藪化しつつあります。

(右)城跡案内板。現在は南東の新曲輪と鍛治曲輪しか残っていません。かつてはかなりの規模だった事が分かります。

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