かつての南山王国の本拠地 『南山グスク』

皆さんおはようございます。

今日の新聞のスポーツ欄は沖尚ナインの試合の模様が見開きの3分の2ほど使ってでかでかと載っています。

それは置いておきまして今日は『南山グスク』についてです。このグスクはかつて三山時代、南山の本拠地だったといわれています。大里村の島添大里グスクに王城が移ったこともあるようですが、最後の王の他魯毎(タルミ)がここを王城としたのは間違いないようです。

nanzan1 nanzan3 nanzan4

これらがグスクの外壁ですが、このくらい残っているものはそんなにないと思います。南部でしたら糸数グスクか知念グスクなどがしっかりとした城壁が残っています。それらほどではありませんが、結構良いのではないかと・・・本当ならば中にも入ってじっくり見てみたいのですが、実はこのグスクは高嶺小学校の敷地に入っていますし、それによってグスクも一部破壊されたようです。

nanzan2 nanzan5

今の世の中、小学校の周りをうろついたりすれば、愉快でないことが起こるかもしれません。自分がこれを撮ったのは一昨日、土曜日でした。夏休み中で土曜日、さらに夕方とくれば児童の姿が見えないのが幸いでしたが、隣の中学校の女生徒が近くにいたので、油断はなりません(何の話だ)。いずれにせよ女子中学生は関係ありませんが・・・

もしこのグスクを見てみたい、という方がいらっしゃれば、そういった点には注意を払ったほうが良いかもしれません。

このグスクを見た日、自分は他に二箇所見ました。照屋グスクと真壁グスクですね、三箇所とも所在地は糸満市になっていますが、ここは文化財に愛着も何もないのか、と思わざるを得ない部分もあります。

糸満市には他に具志川グスクという知られたグスクがありますが、それを除いてはたいしたことがされていません。

前述したうちの照屋グスクは・・・近いうち取り上げるとしますが、大部分が破壊されている上に残った部分も荒れ果てていました。

真壁グスクは公園として整備したように見えますが、放置されて草木に埋もれかけていますのであまり意味がありません。展望台の周りが伸び放題の雑草と言うのはどうなんでしょうか。

また、糸満市はかつての南山のお膝元、ということもあってか、特に市の南部は多くのグスクが点在しています。

「ひめゆりの塔」近くの伊原グスクですとか、南山グスクの砦だったとも言われている国吉グスク、先ほど挙げた真壁グスクもですし、具志川グスクは喜屋武にあります。他にもあるのですが真壁、具志川以外は文字通り草木に埋もれているのではないかという気がしてなりません。まだ行っていませんが・・・というより見つけられませんでした。

海を埋め立ててそこに新しい市役所だけを建てるというのもいいのかもしれませんが、そういったもののごく一部に相当する予算でも使って、そういった場所を訪れやすくして欲しいな・・・などと思ってみたりする今日この頃です。

スポンサーリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメント

  1. まぁきぃ より:

    南部にもグスクがたくさんあるんですね。
    グスクって、好きです。
    私は今帰仁とか勝連とか、有名なグスクにしか行ったことないんですが、グスクに立つとなんだか厳かな気持ちになります。あぁ、ここで琉球の時代を生きていた人がいたんだなぁ、って。不思議な気持ちというか。
    ちなみに私が行ったことのあるグスクで一番好きなのは座喜味デス。

  2. T・ランタ より:

    >まぁきぃさん
    そうですね、グスクは沖縄全部で100を超えるはずです。
    離島も含めてですので全部を見るのは厳しいでしょうが・・・それに、世界遺産級や一部の有名なものを除いては手入れの行き届いていないものもありますし、残念なことに様々な事情で破壊されたものもあります。
    できることなら雰囲気が伝わるように残して欲しいものです。
    ちなみに南部では玉城村が「グスクロード」といったりしています。「糸数グスク」や「玉城グスク」などが有名ですが、近々時間があればいってみようかと思っています。
    ついでに自分は有名なところは今帰仁しか行った事がありません。近場から制覇して行く予定です。

まぁきぃ へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください