・・・とは言ってもグスクの面影はありませんが。
案内板に一応グスクの構造が記されていましたが、あまりにも変わりすぎて分りにくいです。
公園の入り口、階段の下とグラウンドはかつて五の郭があったのだそうです。
左の写真、階段の踊り場と奥に見える休憩所、それからグラウンドの高くなっている部分はかつての四の郭です。
右の写真、さらに上がった踊り場を挟んで左右に三の郭が広がっています。ここは遊具も見えます。
階段を上りきって右手側の奥に二の郭があり、そこは拝所もあります。
ここは比較的それらしい雰囲気です。
展望台になっている主郭です。
思ったより高さがあって、見晴らしは結構いいです。
それからグスクから西側へ向かっている道を進んでみます。
林の中の道を通り抜けると遊歩道に出ます。
この遊歩道は西へ進めば比謝橋の辺りまでたどり着きます。
このグスクは安慶名大川按司の次男、屋良大川按司によって築かれたといわれています。
一説には安慶名系屋良大川按司の前には、『御先大川』と呼ばれる五代に渡る系統があり、その元祖は中北山三代目今帰仁按司 と絶世の美女と謳われた大湾乙樽の間に生まれたのだとか・・・
御先大川五代目の屋良大川按司に跡継ぎがいなかったため、同じ中北山の血を引く安慶名大川按司の息子を婿養子と引き取ったのでしょうか。
ちなみに安慶名系の按司は三代続き『後大川』と呼ばれているそうです。
さらに、比謝橋は中山と北山を結ぶ要所の一つで、それを巡って何度かに渡り北山軍との戦いを繰り広げ、その度に守りきったのだとか・・・
グスク内の石は一説には道路や比謝橋のための資材として持ち出されたといわれているそうですが、根石なども無いことから石を使わないグスクだったとも見られているようです。
グスクから西側、比謝橋の側にある嘉手納中央公民館敷地内には『大川の地の碑』があります。
ちなみにこの場所は「嘉手納グスク」があったようですが、例によって面影がありません。
石碑の裏の辺りを見てみますが、やはりグスクの面影はありません。
側には屋良グスクへの遊歩道があります。
またこの付近には阿麻和利の墓もあるようですが・・・機会があれば探して見ます。
参考 沖縄のグスクめぐり(むぎ社)
コメント
ここはキレイに公園になってるんですねぇ。広そう…
石を使わないグスクっていうのがちょっと想像つきにくいんですが、そういうのって沖縄では珍しいですよね。独特の建築技術を持ってたりしたのかなぁ。それとあれが誰の像なのか気になります。琉球において何か偉業を成し遂げた人なんですかね?
>まぁきぃさん
一応名護グスク(ナングスク)や恩納グスクは石の城壁は無く、堀切などを用いていたようです。
本文では書き忘れましたが、このグスクは戦後米軍の燃料庫が置かれて地形が変わってしまったのだそうです。
あと、あの像は野国総官 本名徐肇基(じょひつき)だろうと思われます。401年前に沖縄に甘藷(サツマイモ)を持ち帰った人物です。
過去に簡単な記事を書いた覚えがあります。
あ、野国総官さんでしたか。イモの人ですね^-^本…
野国総官の像は前にも見たことがあったんですが、下から見上げた映像ばかりだったのでわかりませんでした。こんなアスファルトのとこに立ってはるんですね。意外~。これを見るまではなんか岸壁のとことかに立ってるイメージでした^^;
>まぁきぃさん
この像は足元から引き剥がしたような感じで、多分何らかの事情で、中央公民館の駐車場を間借り(?)しているのだろうと思います。
おわっ!ホントだ!
画像をクリックで拡大してみて気付きました。もとあった場所が整備中とかですかねぇ。
って、そんなことに気付いたら野国総官像のその後が気になってしまうじゃないですか^^;
>まぁきぃさん
気になりますか・・・
でもいずれは元の場所に戻ってくれるだろうと思います。
しかし何の説明もありませんので、なぜここにあるか分かりませんね・・・